2015年05月18日

再び、モチーフとテーマ

いい例を思いついたので。

「笑顔の写真」。



物語でなく、まず写真の話。

人が笑顔で写っている。
「笑顔の人」が、この写真のモチーフだ。
このとき、「笑顔をテーマに写真を撮った」というのは、誤りである。

笑顔の人で、例えば世界平和を訴えるとしよう。
笑顔の日々が続くように戦争はやめようとか、
笑顔こそが愛なのだとか、
そのようなことを意味することになる。
これがテーマだ。

意味する内容(世界平和)がテーマであり、
意味するための媒体(笑顔の人)がモチーフだ。
表現とは、モチーフでテーマを暗示することである。

多くの人は、モチーフとテーマを混同している。
笑顔と世界平和はとても分かりやすく近い概念で、
混同しやすいからだろう。


ところが、この写真に一行つけてみる。
「人が拒否をするとき、笑顔になる。」というキャッチコピー。
すると、笑顔というモチーフで、
この写真は人の二重性をテーマにしていることになる。

表面に表れているものと真意は異なるときがある、とか、
人は嫌われないように笑顔でコミュニケーションするわけで、
楽しいから笑顔になるわけではない、とかが、
このモチーフが持つテーマである。

このように、同じモチーフだとしても、
扱う文脈によって、異なるテーマを表現することが可能だ。

勿論、同じテーマで違うモチーフを持ってくることもできる。

白い鳩が飛ぶ写真、悲惨な戦場の写真でも、
違うモチーフで同じテーマ「戦争をやめて平和を希求しよう」を表せるだろう。
「好きだ」という為に百億の言い方があるのと同じだ。

同じテーマで違うモチーフ、というのはよくあるが、
同じモチーフで違うテーマ、というのはあまりないから、
だから、これらの混同が行われてるのかも知れない。



さて、物語である。
同じモチーフで異なるテーマを描くことは可能だ。
クラスのいじめをモチーフにして、
いじめは良くないというテーマと、
人は思った以上に残虐になるというテーマを描き分けることは可能だ。
落ちを変えるといい。
いじめは良くないと皆が自覚して自然にいじめが止む、という落ちと、
救いなくいくらでもエスカレートしていく様で終わる、という落ちに。

つまり、同じ事件(モチーフ)を描いたとしても、
落ち次第で、いくらでもテーマは変えられるのである。



モチーフとテーマは、時に混同されている。
こういうモチーフならこういうテーマ、と、
定番の関係があるからだ。
これをベタという。

我々は、新しいモチーフと新しいテーマの関係を、
創作していかなければならない。
しかも分かりにくいものでなく、
とても分かりやすいパターンで。
posted by おおおかとしひこ at 19:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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