いい例を思いついたので。
「笑顔の写真」。
物語でなく、まず写真の話。
人が笑顔で写っている。
「笑顔の人」が、この写真のモチーフだ。
このとき、「笑顔をテーマに写真を撮った」というのは、誤りである。
笑顔の人で、例えば世界平和を訴えるとしよう。
笑顔の日々が続くように戦争はやめようとか、
笑顔こそが愛なのだとか、
そのようなことを意味することになる。
これがテーマだ。
意味する内容(世界平和)がテーマであり、
意味するための媒体(笑顔の人)がモチーフだ。
表現とは、モチーフでテーマを暗示することである。
多くの人は、モチーフとテーマを混同している。
笑顔と世界平和はとても分かりやすく近い概念で、
混同しやすいからだろう。
ところが、この写真に一行つけてみる。
「人が拒否をするとき、笑顔になる。」というキャッチコピー。
すると、笑顔というモチーフで、
この写真は人の二重性をテーマにしていることになる。
表面に表れているものと真意は異なるときがある、とか、
人は嫌われないように笑顔でコミュニケーションするわけで、
楽しいから笑顔になるわけではない、とかが、
このモチーフが持つテーマである。
このように、同じモチーフだとしても、
扱う文脈によって、異なるテーマを表現することが可能だ。
勿論、同じテーマで違うモチーフを持ってくることもできる。
白い鳩が飛ぶ写真、悲惨な戦場の写真でも、
違うモチーフで同じテーマ「戦争をやめて平和を希求しよう」を表せるだろう。
「好きだ」という為に百億の言い方があるのと同じだ。
同じテーマで違うモチーフ、というのはよくあるが、
同じモチーフで違うテーマ、というのはあまりないから、
だから、これらの混同が行われてるのかも知れない。
さて、物語である。
同じモチーフで異なるテーマを描くことは可能だ。
クラスのいじめをモチーフにして、
いじめは良くないというテーマと、
人は思った以上に残虐になるというテーマを描き分けることは可能だ。
落ちを変えるといい。
いじめは良くないと皆が自覚して自然にいじめが止む、という落ちと、
救いなくいくらでもエスカレートしていく様で終わる、という落ちに。
つまり、同じ事件(モチーフ)を描いたとしても、
落ち次第で、いくらでもテーマは変えられるのである。
モチーフとテーマは、時に混同されている。
こういうモチーフならこういうテーマ、と、
定番の関係があるからだ。
これをベタという。
我々は、新しいモチーフと新しいテーマの関係を、
創作していかなければならない。
しかも分かりにくいものでなく、
とても分かりやすいパターンで。
2015年05月18日
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