2015年05月19日

名簿をつくることの意味と無意味

キャラ設定表などつくってはいけない、
と初心者には僕は言う。

それは、「表を漏れなくつくること」に割くエネルギーだけで、
終わってしまうからである。


例えば、てんぐ探偵36話は、
シンイチのクラス全体の騒動である。
このため、
こっちの表としては、男子18名女子18名の出席簿を、
一応は作っておいた。
全員分の姓名のリストである。
しかし、実際には全員出てきている訳ではない。
今回は女子メインだが、全員の名前も出てきていない。
女子のグループ分けなどの人間関係の設定などもしたが、
半分ぐらいしか使っていない。

その程度にしか使わないだろう、という労力で、
最初からザルだらけの設定表を作っている。

何故か。

設定表ではなく、作品が完成形だからだ。


作品が面白ければそれでいいのだ。
設定表が面白くても、作品が面白くなくては本末転倒なのだ。
設定表の面白さは、
「ここからどんな話が生まれるだろう」という面白さであり、
話そのものの面白さではない。
だから、面白い設定表をつくることは、
面白い話をつくることではない。


設定表の空欄を埋めることが創作ではない。
設定表を作ると、
空欄を埋めることにエネルギーを消費しがちだ。
今回で言えば全員の姓名、人間関係などだ。
これを決めることに意味はない。
何故なら、全員の姓名を理解させ、
全員のキャラ立ちをさせることは、
この一回ではやらないからだ。

千尋派と美優派の人間関係だけ綿密に描写して、
あとは背景に見えるようにしないと、
話の軸がぼやけるから、
千尋と美優に絞らなければならない。

話とはフォーカスをどこに当てるかであり、
表の空欄を埋めて網羅することではない。


設定表を作ると、網羅することが創作だと勘違いしてしまう。
逆だ。
何もかも揃った現実から、
必要なもの以外を捨てることがストーリーテリングだ。

それが分かっていると、
姓名表は、捨てるのはどこかを見極める為の表だ、
ということが分かるだろう。

今回は男子はシンイチと芹沢とススムと春馬に絞って、
あとはいないもの扱いだ。
女子全員の名前も出てない。


埋めることと、絞ること。
実は、真逆のベクトルが、
設定表とお話に存在するのである。

設定表を作らないと絞れない、
という心配症は、設定表をコンプリートすることにエネルギーを使うといい。
しかしそこから、愛着を捨てて絞れるかどうかだ。
エネルギーを使えば使うほど、
絞ることは人情的に出来なくなる。
だから、設定表にエネルギーを費やすことに意味はない。


世界の四つの天を支える神がいる。
それが四天王だ。
毘沙門天(多聞天)しか使わないから、あと三つは適当でいい。
物語と設定表の関係は、それぐらいでいい。
そうじゃないと、
話を書くエネルギーが取られてしまう。

多くの作品で、
そのような設定を別人が纏めるのには意味がある。
話をつくるエネルギーと、
設定表をコンプリートするエネルギーは、
真逆のベクトルだからである。
posted by おおおかとしひこ at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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