キャラ設定表などつくってはいけない、
と初心者には僕は言う。
それは、「表を漏れなくつくること」に割くエネルギーだけで、
終わってしまうからである。
例えば、てんぐ探偵36話は、
シンイチのクラス全体の騒動である。
このため、
こっちの表としては、男子18名女子18名の出席簿を、
一応は作っておいた。
全員分の姓名のリストである。
しかし、実際には全員出てきている訳ではない。
今回は女子メインだが、全員の名前も出てきていない。
女子のグループ分けなどの人間関係の設定などもしたが、
半分ぐらいしか使っていない。
その程度にしか使わないだろう、という労力で、
最初からザルだらけの設定表を作っている。
何故か。
設定表ではなく、作品が完成形だからだ。
作品が面白ければそれでいいのだ。
設定表が面白くても、作品が面白くなくては本末転倒なのだ。
設定表の面白さは、
「ここからどんな話が生まれるだろう」という面白さであり、
話そのものの面白さではない。
だから、面白い設定表をつくることは、
面白い話をつくることではない。
設定表の空欄を埋めることが創作ではない。
設定表を作ると、
空欄を埋めることにエネルギーを消費しがちだ。
今回で言えば全員の姓名、人間関係などだ。
これを決めることに意味はない。
何故なら、全員の姓名を理解させ、
全員のキャラ立ちをさせることは、
この一回ではやらないからだ。
千尋派と美優派の人間関係だけ綿密に描写して、
あとは背景に見えるようにしないと、
話の軸がぼやけるから、
千尋と美優に絞らなければならない。
話とはフォーカスをどこに当てるかであり、
表の空欄を埋めて網羅することではない。
設定表を作ると、網羅することが創作だと勘違いしてしまう。
逆だ。
何もかも揃った現実から、
必要なもの以外を捨てることがストーリーテリングだ。
それが分かっていると、
姓名表は、捨てるのはどこかを見極める為の表だ、
ということが分かるだろう。
今回は男子はシンイチと芹沢とススムと春馬に絞って、
あとはいないもの扱いだ。
女子全員の名前も出てない。
埋めることと、絞ること。
実は、真逆のベクトルが、
設定表とお話に存在するのである。
設定表を作らないと絞れない、
という心配症は、設定表をコンプリートすることにエネルギーを使うといい。
しかしそこから、愛着を捨てて絞れるかどうかだ。
エネルギーを使えば使うほど、
絞ることは人情的に出来なくなる。
だから、設定表にエネルギーを費やすことに意味はない。
世界の四つの天を支える神がいる。
それが四天王だ。
毘沙門天(多聞天)しか使わないから、あと三つは適当でいい。
物語と設定表の関係は、それぐらいでいい。
そうじゃないと、
話を書くエネルギーが取られてしまう。
多くの作品で、
そのような設定を別人が纏めるのには意味がある。
話をつくるエネルギーと、
設定表をコンプリートするエネルギーは、
真逆のベクトルだからである。
2015年05月19日
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