2015年05月19日

他人は、ままならない

そんなこと、リアルでは分かっている。
その筈なのに、ついついそのリアリティーを話の中では忘れがちだ。


ままならない他人を描くことは、
実はとても難しい。
どうしても、自分のコントロール下にあるからだ。

自分の別人格が、別人格のコントロールを離れて勝手気ままでなければ、
ままならない他人を描くことは出来ない。
人格の分裂が必要だ。分裂症を意図的に制御しなければいけないのだ。
意図的に制御出来る分裂症は、なかなかにタフである。
僕は作家が一種の病ではないかと思うのはそういうことだ。

しかし、分裂症を患わなくても、
ままならない他人を描くことはすぐにできる。

目的を違えることである。

呉越同舟を描いてみると、その練習になる。


目的を違えることは、
理屈で違うことであり、人格的に違うことではない。

例えば双子の喧嘩だとしてもよい。
同じ性格、同じ人生経験、同じ考え方だとしても、
目的を違えれば、喧嘩をするのだ。

双子が一人の女を取り合っても構わない。
双子が互いの進む道を別れても構わない。
双子が反乱軍と帝国軍に別れても構わない。

目的さえ違えば、
相手を潰す、
相手を説得して同じ目的にする、
相手と話し合いの末、双方納得のいく第三の選択肢へ達する、
の、どれかの結論へたどり着くことが出来る。
そしてその過程と結論が物語である。

目的さえ違えば、
どうしてそういう目的に至ったのか、
その経験を作ることが出来る。
その経験を通じて、
その目的に我々観客が感情移入することが出来る。

Aがある経験をして、ある目的を持つ。我々はそれに感情移入する。
Bがある経験をして、ある目的を持つ。我々はそれに感情移入する。
あとは、
ABが、「互いがままならない」と思い、
呉越同舟(その場を立ち去ることでは目的を達成できない状況)であり、
三つの結論のうち、どれかに達するまで、
直接的または間接的に関係するとよい。
それがお話だ。


あとは、CDE…と人物を増やせば、話が厚く出来るだろう。

ハリウッド映画は、
特に、ABを、主人公と敵とし、
結論を相手を排除する方向にして、
最終的に直接的に闘う話になる。
CDE…などで厚みを増す場合、主人公Aに対して、
説得するか第三の選択肢を取って味方になるパターンをとることが多い。
(代表的なのは、ヒロイン、友人、恩師や父親)
主人公Aに最も感情移入させるため、
Aの目的に感情移入させるエピソードを最初の方に描き、
最も厚く扱う。

Aに正義、Bに悪の価値観を入れれば、
ハリウッド的な勧善懲悪の完成だ。


あなたはこのパターンを選んでもいいし、
お腹一杯だとして、別のパターンを創作してもいい。
どちらにせよ、
目的を違える状況を作ることと、
それが鮮やかに結論へ達成する様を描くことが必要だ。

相手には目的がある。
自分にも目的がある。
だからままならない。

目的を貫くのか。
目的を、方向性はそのままで下方修正(妥協)するのか。
目的を、かつてのものも含んだ全く違うものに変更するのか。
目的の具体を変更するが、意味はそのままにするのか。
それは殆ど疑似的な人生だ。
人生経験がある程度必要、というのは、
そういうことである。



初心者の書くお話は、
簡単に恭順する。
簡単に仲間になったり、簡単に恋人になったり、簡単に敵になる。

デジタル的に人間関係はならない。
一見立場がそうなったとしても、
仲間になっても喧嘩はするし、
恋人になっても喧嘩はするし、
敵になってもシンパシーは感じてたりする。
会社に入ったからと言って、その会社の全てに一瞬で染まる訳がない。

とかく他人はままならない。

それは性格や人生観のせいではない。
目的の違いだ。

なんのため、何用、常にそれを問うていこう。
posted by おおおかとしひこ at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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