2015年05月22日

世の中は物語で変えられるか

見た人の心を変えることは可能だ。
むしろそうでなければ物語ではない。

見た人が見る前と同じ心であるならば、
物語を見る価値などない。
逆に、物語はそれほど素晴らしくなければならない。

さて、一人の心を変えることは可能だ。
世の中を変えることは出来るか?


世の中を変える、というのは、
世界征服とか世直しとか革命とかとは少し違う。

作者の思う通りに誘導することとも違う。
催眠術やプロパガンダのように、
作者が思う方向に誘導することではない。
そんな誘導は、物語では成功しない。

意図的な誘導は、我々は嫌うからだ。
ステマやCMは、やっぱり嫌いだからだ。


しかし、本当に深く感動したり感心すると、
人は変わる。カタルシスを得るからだ。


人は、無意識に変わりたい方向があって、
その無意識(一方向とは限らない)に上手く触れられれば、
感動や感心を引き起こすことが出来る。

かといって作者が迎合するわけではない。
作者の無意識と人々の無意識を同調させられるかどうか、
ということだ。

言葉は難しいが、感覚としては簡単なことだ。

みんながまだ意識してないけど欲していること、
俺も欲していること、
それが上手く融合すれば、
それはシンクロ出来る。
私もあなたも同じだ。
同じ方向へ変わりたいと思っている。

そこにたどり着けたとき、世界は変わる。


新興宗教と、原理的には違わない。
どちらも物語を使う。
あとは、どれだけ多くの人に欲されるかである。
新興宗教より多くの人が求めて、
ヒットすれば、
世界の価値観は変わる。

その集団が変わりたいと思っている無意識。
ひとつではなく無限に連続した中の、
ひとつを探り当て、
具体化させられれば、
それは共有されて、人々に広まる。

作者が変えた、とも言えるし、
自然に変わるべくして変わった、とも言える。


僕は世の中を変えたい。
ある種の不満がある。
それを無くす方向に変えたい。
説得したり批判したりでは変わらない。
それが本質を突けば突くほどダメージがあるだけだし、
その批判が理解できない人にはただの悪口おじさんにしか見えない。

いい方向に変えるには、物語のカタルシスしかないのではないかなあ、
と最近思っている。

今まで、オリジナルの短編(CMやショートフィルム)でそれは出来た。
原作を上手くアレンジして食べやすくして更に楽しませる長編でも、
それは出来た。
オリジナルの長編だけ、まだ出来ていない。
そういう意味では、てんぐ探偵はその最初だ。

多分だけど、世界を変える力がある題材、作品だと思っている。
そろそろ完結が見えてきた。
世界の無意識を今眺めて、世界との接点を考え始めている。



儲かるかどうかとは、また別だ。
今、儲かることと、
世界が欲する物語による変化が、
結構解離しているのが問題だと思っている。

世界が欲する物語で世界を変え、かつ商売にする。
少し前まで、それは機能していたし、
それをすることは可能だった。

僕が再びそれを取り戻し、その鏑矢になりたいと画策中だ。



人は悪い方向にも変わりたいし、
いい方向にも変わりたい。

それを知ることだ。
posted by おおおかとしひこ at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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