起伏があるとかないとかは、何で決まるのだろうか。
ニュートラルで普通、を真ん中としよう。
例えば怒りという感情は、真ん中から怒り方向に突出したものだ。
怒り度合いが大きいほど、普通との落差が大きいことになる。
これが起伏だろうか。
まだこれでは単純すぎる。
例えば悲しみ方向、楽しい方向にも、感情の方向をふって、
そちらにも突出したとしよう。
三方向に移動したことになる。
例えばこれが起伏だ。
我々観客の感情が、
なるべくバラバラな方向へ、何度も、激しくふられること。
これが起伏だと思う。
起伏という言葉からは一次元のプラマイを想像するが、
n次元の話なのである。
例えばホラーは、恐怖という感情に特化したジャンルだ。
恐怖が大きければ大きいほど、優秀だ。
しかしそれだけでは優秀ではない。
恐怖以外の感情、
例えば笑い(恐怖と笑いは近い)、悲しみ、怒り、知的感心、
など、まったく別の感情にどれだけふられるか、
しかも恐怖と同等に大きくふられるかが、
優秀な話の証拠だ。
例えばボトムポイントで必ず死や悲しみを体験させるときは、
あとで訪れるハッピーエンドの喜びやカタルシスと同等に、
辛く悲しく描くべきだ。
しかしこれだけでは二つの感情しかないから、
例えば前半をコメディにして、同等に爆笑させることが、
良くできた起伏ということだ。
これはおおむねドラマ風魔の小次郎の起伏である。
前記事で、てんぐ探偵傑作選には起伏が乏しいと書いたが、
一話一話の中での起伏は比較的豊かだと思う。
しかし、全体の十話通しての起伏が、もっとあっていいと感じた、
というだけの話。
それは、一話一話を独立して書いている以上どうしようもないこと。
やるなら、十話単位での執筆をして、起伏をつけるということが必要かも知れない。
これは、部分の起伏と全体の起伏についての示唆を与える。
部分で感情の起伏を経験したら、
全体ではもっと感情の起伏を経験したい、
という無意識の欲求が人間にはあるということだ。
あなたがワンブロック内で、
とても起伏のあるエピソードを書けたとしても、
全体での起伏があるとは限らない。
常に全体での地図(例えばブレイクシュナイダーのボード)を把握し、
全体での起伏がコントロール出来ているかを考えよう。
ワンブロック内での波と、全体の波は違うということだ。
てんぐ探偵本編でのそれはわりと意識している。
三集のケツ、五集のケツ、六集のケツ、八集のケツに、
ビッグエピソードを配置し、それらが起伏をなすように設計している。
(「サッカーのにいちゃん」→「24人の俺」→「遠野SOS」→「見える友達」)
勿論今後大波がやってくる。
その大きな波ほどに、傑作選は大きな波を作れなかったということか。
まあセレクションなんてそんなものかもね。
そのように加筆したくなってるけど、本編優先としときます。
ダイジェストをつくると、
全体での起伏が見えやすい。
どこに起伏のポイントがあるかも見えやすい。
書く前の計画に比べ、
全体での起伏がダイジェストでは明らかになる。
それを見ながら、
全体での起伏と部分での起伏を、リライトしていくと更に良くなるだろう。
部分は全体ではないし、全体も部分の直結ではない。
数学的には全体は部分の直結である、と考えるべきだが、
我々人間は、全体での評価と部分の評価を変える生き物だ。
2015年05月23日
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