2015年05月23日

起伏

起伏があるとかないとかは、何で決まるのだろうか。


ニュートラルで普通、を真ん中としよう。
例えば怒りという感情は、真ん中から怒り方向に突出したものだ。
怒り度合いが大きいほど、普通との落差が大きいことになる。
これが起伏だろうか。
まだこれでは単純すぎる。

例えば悲しみ方向、楽しい方向にも、感情の方向をふって、
そちらにも突出したとしよう。
三方向に移動したことになる。

例えばこれが起伏だ。


我々観客の感情が、
なるべくバラバラな方向へ、何度も、激しくふられること。
これが起伏だと思う。
起伏という言葉からは一次元のプラマイを想像するが、
n次元の話なのである。

例えばホラーは、恐怖という感情に特化したジャンルだ。
恐怖が大きければ大きいほど、優秀だ。
しかしそれだけでは優秀ではない。

恐怖以外の感情、
例えば笑い(恐怖と笑いは近い)、悲しみ、怒り、知的感心、
など、まったく別の感情にどれだけふられるか、
しかも恐怖と同等に大きくふられるかが、
優秀な話の証拠だ。


例えばボトムポイントで必ず死や悲しみを体験させるときは、
あとで訪れるハッピーエンドの喜びやカタルシスと同等に、
辛く悲しく描くべきだ。
しかしこれだけでは二つの感情しかないから、
例えば前半をコメディにして、同等に爆笑させることが、
良くできた起伏ということだ。
これはおおむねドラマ風魔の小次郎の起伏である。


前記事で、てんぐ探偵傑作選には起伏が乏しいと書いたが、
一話一話の中での起伏は比較的豊かだと思う。
しかし、全体の十話通しての起伏が、もっとあっていいと感じた、
というだけの話。
それは、一話一話を独立して書いている以上どうしようもないこと。
やるなら、十話単位での執筆をして、起伏をつけるということが必要かも知れない。


これは、部分の起伏と全体の起伏についての示唆を与える。

部分で感情の起伏を経験したら、
全体ではもっと感情の起伏を経験したい、
という無意識の欲求が人間にはあるということだ。

あなたがワンブロック内で、
とても起伏のあるエピソードを書けたとしても、
全体での起伏があるとは限らない。

常に全体での地図(例えばブレイクシュナイダーのボード)を把握し、
全体での起伏がコントロール出来ているかを考えよう。
ワンブロック内での波と、全体の波は違うということだ。

てんぐ探偵本編でのそれはわりと意識している。
三集のケツ、五集のケツ、六集のケツ、八集のケツに、
ビッグエピソードを配置し、それらが起伏をなすように設計している。
(「サッカーのにいちゃん」→「24人の俺」→「遠野SOS」→「見える友達」)
勿論今後大波がやってくる。

その大きな波ほどに、傑作選は大きな波を作れなかったということか。
まあセレクションなんてそんなものかもね。
そのように加筆したくなってるけど、本編優先としときます。



ダイジェストをつくると、
全体での起伏が見えやすい。

どこに起伏のポイントがあるかも見えやすい。

書く前の計画に比べ、
全体での起伏がダイジェストでは明らかになる。
それを見ながら、
全体での起伏と部分での起伏を、リライトしていくと更に良くなるだろう。

部分は全体ではないし、全体も部分の直結ではない。

数学的には全体は部分の直結である、と考えるべきだが、
我々人間は、全体での評価と部分の評価を変える生き物だ。
posted by おおおかとしひこ at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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