2015年05月26日

ストーリーとシナリオの違い

「ストーリーは思いつくのに」というキーワード検索で
ここにたどり着いた人がいるようで、
興味深いので考えてみよう。

ストーリーそのものと、シナリオは、
厳密には違うものだ。


分かりやすく言えば、
ストーリーは具体的な形を持たない。
魂のような、目に見えないものだ。

それを、
1000文字程度の「文章」であらすじを書いたものをプロット、
一行から二行程度で書いたものをログラインという。
目に見えないものが、
「日本語の文章」として、受肉したと思うとよい。

プロットはストーリーの大体のスケッチを表現出来るが、
ストーリーそのものではない。

ストーリーを純度100%表現出来る表現形式は、
この世にはない。

と思う。

自然言語では不可能だ。
手紙が自分の気持ちを100%表現出来ないことに似ている。

特殊開発言語でも不可能だ。
例えばこのブログの最初期に図式化をいくつか試みた。
これは言語では捉えられないストーリーの骨格を上手く図示出来る。
しかしストーリーそのものではない。

また、あるストーリーは、
色々な表現形式に変換できる。
小説スタイル、漫画スタイル、演劇スタイル、映画スタイル。

シナリオは、そのうち、映画スタイルの表現形式にすぎない。
(正確には映画スタイルの設計図)



シナリオを書くとき、実は二つの行為をしなくてはならない。
あるひとつの面白いストーリーを考えつくこと(作劇)と、
それをシナリオ形式に具体的に書くこと(執筆)だ。


僕は、執筆については、「手に覚えさせる」という、
昔ながらの方法がとても良いと思っている。

名シナリオを手に入れよう。
(例えば風魔の小次郎の、僕担当回のシナリオについては、
このブログにアップしている。
月刊シナリオ、ドラマで、シナリオの原稿を見ることが出来る。
しかし、掲載可能なシナリオを掲載しているに過ぎず、
名シナリオばかりとは限らないのでご注意!
実際に感銘を受けた作品のシナリオを探すのがベストだが、
一般に手に入り易くはない。ここがシナリオ学習の難しいところだ。
ネット時代になって、少しはましになった。
シナリオセンター的な所は、いくつかを保管しているかもだ)

それを書き写すのはとてもよい。

文字打ちはダメで、手書きで書き写すのが最良。
何故なら、手に覚えさせるためだ。

デジタル時代になって、
能力を「身につける」ということが軽視されている。
僕は、執筆は、運動に近いと思っている。
身体が先行して動かないと、出来ないものだと思っている。

思うことが口から出るぐらい無意識に、
思うことが手から出るようにならないと、
執筆は出来ないと思っている。

例えば30分のシナリオを手で書き写すのは、とてもいい勉強だ。
書写は、昔から勉強の一番苦行だが一番の早道であることが、
経験的に知られている。
小説家を目指す勉強で一番早道は、
名作を手で書き写すことだという。
一文字単位で、執筆そのものを理解出来るそうだ。
執筆を、「自分に融合させる」ために、
自分の身体を使うのだ。

同じ意味で、暗唱もいいかも知れない。
覚えることがメインではなく、
自分の身体として、喉を使うということ。

最も台詞が上手いのは、
実は膨大な台詞を身体に通している、俳優かも知れない。
名優のアドリブがぼんくらシナリオライターの台詞を越えるのは、
そういう原理かも知れない。

詩を暗唱することは、詩を理解する最も早道だ。
シナリオ全部の暗唱はキツイけど、
名シナリオならそれぐらい出来て当然かもだ。
(前にも書いたけど、僕は中学のとき、
「風の谷のナウシカ」「超時空要塞マクロス/愛・覚えていますか」を、
口で再現できるまで覚えた。
その経験が、僕の無意識下に効いていると思う)


ということで、
執筆の下手な人は、
手で書く練習を、膨大に積むといい。

シナリオライターの世界には、
「原稿用紙を身長分書き潰すとデビュー出来る」
という格言がある。(背の高い人不利。笑)

ワープロ以前の格言だから、
まじでみんな手書きでそれぐらい書いてたのだ。
ワープロ以後のシナリオが、
それ以前のシナリオに比べていまいちなのは、
手書きの修練を積んでない人が増えたからかも知れない。真面目に。

僕は、文字打ちはお勧めしない。
文字打ちを沢山やっても、
変換効率を上げる修練は可能だが、
手書きの時のような、手が覚えていて先に書き出す感覚がないからだ。
身体が先行して、例えば振り付け師が、
振り付けを踊りながら考えるように、
手が先行して書いていく経験を積むことだ。
この感覚は、文字打ちにはない。
手書きにしかない。

アマチュアのシナリオがいまいちなのは、
手で書いてないからじゃないかなあ。

(何度か書いてるけど、僕は毎度第一稿は手書き、
それを文字打ちして、その原稿をまた手書きで直すスタイル。
紙とペンが我々の武器だ。パソコンは化粧にすぎない)

手を鍛えるには、やっぱり一年はかかる。
そこそこやるには、三年かかる。
本当にやるには、十年かかる。


そこまで鍛えれば、
「あとはストーリーを考えるだけ」になるだろう。

三年で、身長分を書き潰せ。


執筆は、おしゃべりに似ている。
おしゃべり上手は、おしゃべりの経験が膨大だ。
優秀なキャバクラ嬢や飲み屋のママと、酒なしでしゃべってみると、
彼女達のおしゃべりスキル(初対面の人とどれだけ楽しくしゃべれるか)
を垣間見ることが出来るよ。


ちなみに、脚本添削スペシャル(今リンク張れないので、
このワードで検索してください)に、
15分シナリオをネタにして、
作劇と執筆の実際を示しています。
「ヘッド・バッド・ティーチャー」→「ヤクザヘッド」
「流星の侍」→「ねじまき侍」
の二例ございます。ご参考までに。


(ここまで書いて気づいたのだが、
ストーリーは思いつくのに絵の描けない漫画家志望の人だったりして…)
posted by おおおかとしひこ at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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