2015年05月26日

中長編へのステップは、バディムービー?

という仮説を立ててみる。


短編ではばれなくても、
中長編になってくると、粗の目立つものがある。
メアリースーだ。

主人公を自分にしてしまうことで、
ご都合主義になってしまい、
客観性を失ってしまうことである。


これを防ぐには色々とあるが、
バディムービーに挑戦するのは悪くない選択肢だと思う。


バディムービーとは、
名コンビ(でなくてもよいけど)の、二人が主人公となるタイプの話である。

二人は常に一緒に行動していて、
離ればなれになることは滅多になく、
起きた事件を二人で解決するパターンだ。

刑事ものや探偵ものの典型パターンだが、
他のジャンルでも可能だ。

刑事ものなら名コンビ、
探偵ものなら同じ事務所の同居人、
野球ものならコンビのバッテリー(バツ&テリー、小説バッテリーなど)、
フィギュアスケートのコンビ、
翼くんと岬くん、
医者と助手、博士と助手、監督と女優、
ボクサーとトレーナー、
憑いた幽霊と主人公(ヒカルの碁、その他古典多し)、
戦争ものの名コンビ(トップガンなど)、
ルームシェアする二人、
夫婦やカップル、
主人と従者、
依頼主と仕事人、
などなどパターンはいくらでも作れる。


バディムービーの一番のポイントは、
「二人が話しまくる」というところにある。

状況説明をもう一方に説明する形で観客にも紹介する、
(「うちの事務所の今月の家賃払わないと、追い出されちゃうよ!」)
自分の気持ちをもう一方に説明する形で観客にも説明する、
などなど、説明を台詞でこなせるので、
脚本家にとって、進行がとても楽なのだ。


また、陰陽になるように、アクの強い二人をコンビにすることで、
キャラクターの描きわけが簡単になる。
対照的にしておくといいからだ。
一方が女たらしで一方が一途、
一方が明るく一方がネクラ、
一方が戦闘で一方が参謀、
一方が関西人で一方が関東人、などなど。

仮にどちらかがご都合主義になっても、
もう一方がフォローできる。それ不自然だよ!って突っ込みを入れやすい。
つまり、二人いることで、
一人ボケツッコミの形になり、
主観の罠から逃れられるのだ。

メアリースーの危険なところは、客観性のなさだ。
それをコンビのもう一人がツッコミを入れてくれるのだ。
「そんな世の中簡単にいくわけないだろ!」ってね。



世の中の様々な物語には、
名コンビと言われる二人が、無数にいると思う。
それらは全てバディムービーだとも言える。

実は作者が二人に分裂して、一人の中で会話しているのだが、
観客は案外それに気づかない。


映画「いけちゃんとぼく」の初期稿では、
そのようなバディ=もう一人の自分と思わせておいて、
それが消えること=大人への成長、
ということがもっと色濃く描かれていた。
それが予算削減で、いけちゃんの出番が半分に減らされた結果、
ヨシオは独り言の多い子になってしまい、
バディムービーの意味を果たさなくなった箇所が散見される。
そういう意味では、僕はバディムービーの梯子を予算に外された。



ということで、
バディムービーを書いてみよう。
一緒にいる理由(友達とか同居人ぐらいで十分だ。
勿論手錠で繋がれた刑事と犯人なんてのも歓迎だ)を作って、
魅力的なキャラさえ作れれば、
案外なんとかなるもんだぜ。

長篇の一本でもいいし、
中編の連作でもいい。(30分シリーズとかになるよね)
posted by おおおかとしひこ at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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