2015年05月27日

モチーフから書くとき

前記事のつづき。

モチーフから書くときのほうが、
テーマから書くときより実は難しい。

なのに初心者はモチーフから思いつこうとするから、
上手くいかない。


モチーフから書くときは、
モチーフの中に眠るテーマに気づかなければならない。

そのテーマが凡庸なら、それは急に詰まらない話になる。

たとえば「黒人転校生」をモチーフに、
人種差別をやめようというテーマしか見つけられないのなら、
それはどんなにキャラクターが生き生きして、
伏線が効いていたとしても、
凡庸な話だ。


初心者は、頭に浮かぶものが、
モチーフのことが多い。
映画は絵で表現するものという思い込みなのか、
「思いつく」ということが絵の事限定なのか、
それは分からない。

モチーフを思いついただけで、
そこから凡庸なテーマしか見つけられないなら、
それはいつまでたっても凡庸なままだ。
が、初心者は、モチーフを思いついた時点ではその凡庸な未来を想像できず、
これ面白くない?と興奮してしまうのである。

今まで無限の企画打ち合わせに参加してきたが、
「○○って面白くない?」と、
モチーフの面白さを話の面白さだと勘違いする人は、
間違いなく企画の詰まらない人だった。
目上の場合は初心者死ねとも言えないので、大変苦労した。
○○だけは面白い、で、それに凡庸なテーマしかくっつけられないなら、
それは面白くない話だぜ。

絵は面白いのに話が面白くない、
つまり、僕の言うガワだけの話は、
こうやって作られる。

桃太郎が現代風オシャレって面白くない?
鬼とかモンハンみたいで、みんな「落下の王国」みたいにオシャレなの。
で、テーマは?
「自分より強い奴を倒せ」。
話として、それはちっとも面白くない。
そのまんまやんけ。


凡庸なテーマの話ならば、
なるべく意外なモチーフにするのがよい。
「文房具のコマ撮り」などはその例だ。
勧善懲悪のテーマなのに、
悪魔しか出てこない地獄の話とか、
逆に天国の話とかも、
あり得るだろう。

テーマとモチーフは、一見極端に離れているほうが面白い。
(「逆」のドリルで、そればかりを考えるのは、いい訓練だ)


モチーフを思いついてから、
これを用いた意外なテーマ、
を思いつくのは困難だと思う。

何故なら、頭の中のイメージに引きずられるからだ。

面白いモチーフ、という段階で、
そのモチーフが表現できるテーマが、
ある範囲内に限定されるからではないかと思う。


ひとつのモチーフは、それが持つ限界がある。
ひとつのテーマを示すモチーフは無限にある。
その差ではないかと思う。



さて、とはいえ、
モチーフから逃れられないかも知れない。
モチーフから書くときの例を、
同じくてんぐ探偵39話「目先」で。

夜の公園で稽古する、師弟の役者をモチーフとして思いついたとしよう。
師匠が死んでも、弟子は一人で黙々と稽古をつづけ、
いつか大人物になるとする。
こういうモチーフが表現できるテーマは何だろう、
と考えるのだ。

遵守すること→逆の状態は、守らないこと。
継ぐこと→逆の状態は、継がないこと。

あたりしか多分思いつけないと思う。
ここから、100年先を見るテーマのドラマを、
事務所の社長の目先経営と絡めて描くまでを、
思いつけるとは思えない。
しかもその稽古の台詞がヨーロッパの森、
という良くできた構造まで、
組み上がる気がしない。

そこで、このモチーフは、
きっと、妖怪「継がない」になっていただろう。

そこで一旦このモチーフをどこかに保存しておく。
妖怪を沢山ブレーンストーミングする中で、
弊社のばか方針は、妖怪「目先」に取り憑かれている、
という思いつきを得る。
ここに、かつて保存したモチーフを組み合わせる。
会社経営、つまり芸能事務所の社長、という人物を作ればいいと。
で、若手を切るとか、金になる奴を働きまくらせる、
なんて中盤を思いつくのだ。

モチーフから凡庸なテーマしか出てこないときは、
モチーフの保存場所を作っておくとよい。
大抵頭の片隅だけど、
アイデアノートを作ってもいいだろう。

あるテーマをやりたいときに、
凡庸なモチーフしか思いつかないとき、
このネタ帳が炸裂するときが来るのだ。



実際この話を書いたときは、どっちが先だったか覚えていない。
しかし、「夜中の公園で稽古する劇団」というモチーフは僕は大好きだから、
好みのモチーフが先かも知れない。



このように、
モチーフから書くときは、
そのモチーフ自体が持つテーマから離れられない。

思いつくならば、
面白いテーマを包括した、面白いモチーフがベストなのだ。
ビジュアルが斬新で面白くても、
包括するテーマが凡庸ならば、
却下する、というスタンスで臨むべきだろう。


そのうち、テーマから考えたほうが、
斬新なモチーフを選びやすい、
ということに気づくだろうけど。




一番困るのは、
このモチーフありきで、何か面白いことを考えてくれ、
という初心者の無茶ぶりである。

原作の実写化は、実はここで最もつまづいていると思う。
(風魔の場合、一回モチーフをぎりぎりまで小さくしてみた。
香取石松的な小次郎と、カタブツの竜魔のコンビまでモチーフを縮小し、
この二人で描ける妥当なテーマとは何だろう、
という事を考えていたと思う。
いわば原作ラストのコマからの、逆算だ)

原作の実写化が、何故うまくいかないのか?
モチーフを変えずに、テーマを変えてしまうから。
だから仏作って魂入れず、になってしまうのだ。

正しくは、原作からテーマだけを掘り出し、
それを最も面白く表現するモチーフを、
原作ベースにアレンジするべきなのだろう。
そのテーマの掘り出し方が、センスになってくる。
そこには、才能がいる。

その才能のない人が、実写化の旗ふりをしてるから、失敗するのだ。

その人は、脚本家でも監督でもなく、プロデューサーだ。
だから失敗するのだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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