2015年05月29日

何故実写化は、うまくいかないのか2

ドラマデスノートのキャスティングと設定が発表された。
月が平凡な大学生に改変?
Lがお菓子食わない普通の天才?
ニアが女?(まあそこはいい。それよりもニア編やるの?メロは?)

何故このような改変をするのか。
天才が故に世界を粛清できると信じた歪んだ男と、
天才を理解できるもう一人の天才(異端児)の、
二人の対決が大きな軸の物語を、
何故このような改変をするのか。


月とL。
二人の役者の事務所を調べよう。
そしてそこの事務所の看板役者を調べよう。

この有名な事務所は、悪い事務所ではない。
いい芸能人を排出している大手だ。
この事務所の押す二人の若手を使って、
何か出来ないか。
おそらくはそれが発端で、
二人のライバルもの、または友情もの、
の原作が探された。
キャストが有名じゃないから、有名原作で下駄を履かせるためだ。


例えば「巨人の星」「あしたのジョー」などの古典から、
最近のBL風味まで、色々とあった筈だ。
「三月のライオン」の友情部分だけ抜き出してやれないか、
なんてバカな企画を出す人も世の中にはいるものだ。

スポーツものは金がかかる。
CGも派手なのは金がかかる。

あれ?ノート一冊でなんとかする、二人の対決ものがあるぞ!

こうして、二人の出世作を選ぶ動機の人達が、
演目をデスノートに選ぶ。



デスノートは、ピカレスクロマンである。
悪役が主人公だ。
悪役が主人公というのは、大人の楽しみである。
分別がついていて、悪はやってはいけないと分かっている大人だけが、
悪役が主人公のものを楽しむ資格がある。
そうでなければ、悪役が魅力的に見えて、
人は悪に染まるからだ。

だから誰もが見るテレビで、ピカレスクロマンを放送するのは危険だ。
良識のある人だけがテレビを見るのではない。
簡単にいじめの道具になるし、
真似する馬鹿は増えるし、
抗議も来るし、プロクレーマーも来るだろう。

だから月を悪役には出来ない。

例えば僕ならこうするかも知れない。
月は平凡な大学生だったが、デスノートに触れることで、
悪の天才人格が目覚めてしまう。
世界を粛清できると信じる、悪の救世主人格が。
それは元々自分に備わっていたのかと悩む月。
悩む普通の男月と、悪の救世主人格が彼のなかで矛盾する。
悪の救世主人格のとき、月は原作通り。
普通人格のとき、原作とは別の人間関係、
例えば彼を普通に戻してくれる幼馴染みの女の子がいるかもしれない。

そして悪の救世主人格と対決する、数々の難事件を解決してきた、
天才探偵Lが警察から依頼を受ける。

このような改変なら、
色々な要求を満たし、
月を平凡な大学生に、Lを変人でない天才にする、
という意図はわかる。


しかしプロデューサーは、
どのようなストーリーになるか言わずに、
「新しいデスノートにしたい」などといい放った。
馬鹿か。
多分上のような話ではなく、単なる改悪なのだろうことが予測される。

それもなにも、
二人の若手の出世作をつくるために、
適当な原作で話題にし、
しかも抗議を受けない毒を抜く、
為である。

プロデューサーの動機は、借金を返すことだ。
(製作費を預かり、それ以上の金を返すこと。視聴率換算で)
大手事務所の若手二人の出世作をつくることだ。

原作をさらによくしようとか、
原作を現代に甦らせる意味を問おうとか、
原作の本質は何で、それをどう改変すればニーズに合うかとか、
現代に潜んでいる人の悪意を暴くにはとか、
そのようなことが動機ではないだろう。

もしそういうことを思っていれば、
自分の口から改変の意味を説明できるだろうからだ。

思ってないから、新しいデスノートにする、しか言えないのだ。
これは、馬鹿なプロデューサーの証拠だ。


いい脚本家と監督が、ちゃんと考えてアレンジしてくれることを願う。
そうでなければ、
惨敗は目に見えている。



何故実写化はうまくいかないのか。
実写化が動機ではなく、
借金を返す為に原作を利用することが動機だからだ。
posted by おおおかとしひこ at 05:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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