2015年05月30日

「狼少年」さらに続き:AをDする

ログラインよりも更に最短な形式、
「Aな主人公が、Dする」を推奨した。

この形で解析してみよう。
もとのアイデアが、
「狼に育てられた少年が、獣医になる」であり、
この形式になっていないからだ。



まず、狼少年の問題はなんだろう。
ざっくり言うと、ハーフであることだ。
狼と人間の遺伝子的合の子ではないが、
狼と人間の間の人、という点では、
ハーフの悩みと同じである。

つまり、所属すべき集団がふたつあり、
そのどちらでもないことである。

黒人と白人のハーフ、
人間とエルフのハーフ、
感情を理解してしまったロボット(人間と機械のハーフ)、
怪物の能力を埋め込まれた改造人間(即ち仮面ライダー)、
オカマや性同一性障害、
インディアンと白人の合の子、
侍に犯されて出来た農民の子供、
国際結婚後の国籍、
忍びでも人間でもあること(ドラマ風魔の小次郎)、
などなど、
モチーフこそ違え、
これらの物語は、根底に流れる悩み、問題は同じだ。

自分はどちらに属するべきか、だ。


これには、4種類の結末がある。
Pを選ぶ。
Qを選ぶ。
Pでもあり、Qでもある結論を探して選ぶ。
PでもQでもない、関係のない結論を探して選ぶ。
数学的にはこの組み合わせしかない。

「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は、
自分の最初属していなかった集団、インディアンに属する決断をする話だ。
「仮面ライダー」は、
自分の最初属していた集団、人間を選び怪人を壊滅させる話である。
「ピノキオ」は、
自分の最初属していた集団から脱出し、人間になる話である。
「妖怪人間ベム」は、
ピノキオと同じ構造だが、ついに人間にはなれなかった話だ。
「風魔の小次郎」は、
自分の最初属していた集団に疑問を感じ、外の集団、人間と忍びの両方を選択する話だ。

様々なパターンがある。失敗するパターンもだ。


さて、狼少年のアイデアは、
PでもありQでもある、というパターンだ。

つまり物語は、
PQの双方を描き、両方を矛盾させない結論をだす、
という大骨格を持つことが予測される。


これが、Aから予測される大筋だ。


だが実は、この一行アイデアには、Dがない。
「獣医になる」は、Dに属さない。

何故なら、アクションではないからである。

「獣医になる」とは、どういうアクションが相応しいのだろう。
医師免許を受け取った瞬間?
医院に初出社する?
患者に聴診器を当てる?
どれもしっくりこない。
大人になるとか、天狗になるとか、
「なる」は、アクションで示しにくい。
変身する、はアクションで示せる。
だから変身ものは分かりやすく、映像化しやすい。

「なる」は、複数の、一瞬ではない、長い期間をかけた動詞である。
芝居で示せない。

ためしに俳優に、「獣医になる」をやってくれ、
というのは無茶ぶりだろう。
獣医のふりは出来るが、獣医に「なる」は無理だ。
(優秀な俳優ならば、そこまで考えて、
「魔法のステッキで、獣医に変身!しゅぼん!」とやってくれるだろう)


つまり、このアイデアには落ちが決められていないのだ。


解決が獣医になることを「決める」でもいい。
例えば進路指導室で、獣医学部のパンフレットを手に取る、
などのアクションでそれを示すことが出来る。
しかしそれは詰まらない。
一人芝居だからだ。

芝居とは何か。目的を持って行動し、他人とぶつかることである。
つまりアクションとは、
「他人」に向けられたものであるときに、
最も強くなる。

従って、Dする、とは、そのようなものであるべきだ。

そこで僕は、
ラストのアクションを、
(既に獣医として活躍している)主人公が、
「犬に対して犬語で話す」というアクションを考えついたのである。


Dは、芝居だ。アクションだ。
勿論、このような変わったアクションでなくてもいい。
頭突き、みたいなこと(ヤクザヘッド)でもいいし、
抱き締める、みたいなことでもいいし、
肩を叩く、みたいなことでもいい。

問題は、それが問題の解決を、ワンアクションで示せるか、
というところにある。


最初の一行アイデアは、
解決の「方向」を示したに過ぎず、
解決を「アクションで示した」訳ではない。

解決の動詞Dは、このようなものであるべきだ。



さて、犬語で犬に獣医が話す、
というラストさえ出来れば、
あとは逆算だ。

犬語を忘れる、という逆をつくる。
何故だろうと考える。
人間になろうと必死だったから、
という悲劇的理由を思いつく。

あとは逆算だ。
山犬が心配してくるが一度は拒否する、という哀しいエピソードで、
グッとつかめるぞ、と逆算できる。

ここまで、アイデアを聞いて10秒ぐらい。

頭で考えていては無理だ。
ストーリー構造への肉体的勘だ。
それが出来るまで、
色んな名作を見て、色んな駄作を見て、
色んな成功作をつくり、色んな失敗作をつくるべきだ。
そうやって、練っていくしかないと思う。
posted by おおおかとしひこ at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック