2015年06月02日

キャッチーとはなにか

短いこと。
それでいて本質が現れていること。
かつ魅力的で、キャラが立っていること。


逆に言うと、
長かったり、
本質がよく分からなかったり、
ぼんやりしているものは、
キャッチーではない。

一発でズバリといけるように、
アイデアを煮詰めよう。
それはたぶん言葉だ。
勿論一枚絵のこともある。
しかしキャッチーな絵とは、実はキャッチーな言葉で示せるものでもある。
絵だろうが言葉だろうが、
「概念としてのズバリさ」が、
キャッチーには必要だ。

勿論、それが今までによくあるものではなく、
新しい形の概念を示しているものがよい。


我々はいつもキャッチーになるように、
物事を整理している。
あるものを産み出すということは、
まだ未分化なぐねぐねしたものから、
ズバリとしたキャッチーな一塊にまとめることかも知れない。



広告では、
せっかく俺がまとめたキャッチーなものを、
誰かがぐちゃぐちゃにしていくことがよくある。
その人は、ぐちゃぐちゃにしていることに気づいていないのだろう。
キャッチーじゃなくなる、
つまり魅力がなくなる、と警告しても理解しない。
キャッチーかどうかで、生きていないからだと思う。
ということで、今日も原稿を踏みにじられて憤っている。


キャッチーかどうか。

そこが勝負だ。


よく、分かりやすい/分かりにくいという軸で捉えられる。
僕は、受け入れたい/受け入れたくないの軸で捉えるべきだと思っている。
分かろうが分かるまいが、
受け入れたいこととは別のことだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック