物語の世界は、リアル世界とどう違うのか。
強調と省略がなされていることだと思う。
リアル世界での物語は、
様々な現実の制約を受けるので、
なかなかドラマティックなものにならない。
しかし物語の世界では、
ドラマティックにならなければならない。
つまり、物語の世界では、
リアル世界をうまく変形する。
あることを省略したり強調したりして、
ストーリーの都合によい世界にする。
(その変形があまりにもストーリーの都合によすぎるのを、
ご都合主義と言ったり、リアリティーがないという)
ファンタジー世界やSFなどの、
現実からかけはなれた世界では、
人間関係にリアリティーがあったりする。
逆にリアル世界を舞台にしたものでは、
人間関係にファンタジーがあったりする。
そうやって、強調と省略を調整している。
例えば物語に出てくるドラゴンを、
想像上の獣と考えるのは理解が浅い。
ドラゴンは、物語によるけれど、
無慈悲な暴力の物語的強調だったり、
大型の獣の代わりだったり、
悪魔的な知恵の強調だったり、
人間の上位の知性の強調だったり、
(神と人間を繋ぐ役割でも同様)
人間には届かない巨大な力の、強調された姿だったりする。
想像上の獣が住んでいて、ではなくて、
悪い人や賢人を、物語的に強調したキャラクターに過ぎない。
人間の肉体を省略しているとも考えられる。
リアル世界を舞台にしたものでも、
出てくる警官は現実より幾分正義感が強いし、
出てくる映画監督は現実より頭がよく優しいか、
現実より厳しい鬼として描かれる。
ピアノをやる人は、物語に出てくるピアニストが、
必ず奇跡を起こす人みたいに描かれていてうんざりかも知れない。
僕はこれを戯画化といったりする。
物語は、現実を、少し漫画的にしたものだ。
そういえばロッキーに出てくる登場人物や人間関係は、
現実のアメリカ人より漫画的だ。
水戸黄門だって現実の日本人より、幾分漫画的である。
最近プロレス女子が増えているという記事をどこかで見た。
彼女たちは、「物語」を求めてやって来るのだという。
勝ち負けや背景など、作られた物語だと知った上で、
「分かりやすい、濃い物語」を楽しみに来るのだと。
リアリティーばかり追求して、
ストーリーの枠が小さくなってしまったドラマや、
極端に漫画原作に片寄ったリアリティーのないドラマや、
人気芸能人のコスプレしか売りがない糞ドラマばかりで、
ドラマで物語が楽しめなくなってしまった結果の仇花だと思う。
おいおい本家が負けてどうするのだ。
面白いストーリーを書け。
それは現実そのものの正確なデッサンでもなく、
現実離れしすぎたご都合主義でもない。
冷静と情熱の間ではないが、
面白い物語は、面白い強調と省略の間にある。
2015年06月05日
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