2015年06月05日

強調と省略

物語の世界は、リアル世界とどう違うのか。

強調と省略がなされていることだと思う。


リアル世界での物語は、
様々な現実の制約を受けるので、
なかなかドラマティックなものにならない。
しかし物語の世界では、
ドラマティックにならなければならない。

つまり、物語の世界では、
リアル世界をうまく変形する。

あることを省略したり強調したりして、
ストーリーの都合によい世界にする。
(その変形があまりにもストーリーの都合によすぎるのを、
ご都合主義と言ったり、リアリティーがないという)

ファンタジー世界やSFなどの、
現実からかけはなれた世界では、
人間関係にリアリティーがあったりする。
逆にリアル世界を舞台にしたものでは、
人間関係にファンタジーがあったりする。

そうやって、強調と省略を調整している。


例えば物語に出てくるドラゴンを、
想像上の獣と考えるのは理解が浅い。

ドラゴンは、物語によるけれど、
無慈悲な暴力の物語的強調だったり、
大型の獣の代わりだったり、
悪魔的な知恵の強調だったり、
人間の上位の知性の強調だったり、
(神と人間を繋ぐ役割でも同様)
人間には届かない巨大な力の、強調された姿だったりする。

想像上の獣が住んでいて、ではなくて、
悪い人や賢人を、物語的に強調したキャラクターに過ぎない。
人間の肉体を省略しているとも考えられる。


リアル世界を舞台にしたものでも、
出てくる警官は現実より幾分正義感が強いし、
出てくる映画監督は現実より頭がよく優しいか、
現実より厳しい鬼として描かれる。
ピアノをやる人は、物語に出てくるピアニストが、
必ず奇跡を起こす人みたいに描かれていてうんざりかも知れない。

僕はこれを戯画化といったりする。

物語は、現実を、少し漫画的にしたものだ。


そういえばロッキーに出てくる登場人物や人間関係は、
現実のアメリカ人より漫画的だ。
水戸黄門だって現実の日本人より、幾分漫画的である。


最近プロレス女子が増えているという記事をどこかで見た。
彼女たちは、「物語」を求めてやって来るのだという。
勝ち負けや背景など、作られた物語だと知った上で、
「分かりやすい、濃い物語」を楽しみに来るのだと。

リアリティーばかり追求して、
ストーリーの枠が小さくなってしまったドラマや、
極端に漫画原作に片寄ったリアリティーのないドラマや、
人気芸能人のコスプレしか売りがない糞ドラマばかりで、
ドラマで物語が楽しめなくなってしまった結果の仇花だと思う。

おいおい本家が負けてどうするのだ。


面白いストーリーを書け。

それは現実そのものの正確なデッサンでもなく、
現実離れしすぎたご都合主義でもない。

冷静と情熱の間ではないが、
面白い物語は、面白い強調と省略の間にある。
posted by おおおかとしひこ at 13:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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