2015年06月06日

冒頭文を書けるのは、既に書き終えているから

冒頭はとても難しい。

これを難しいと思わないのは、
それを知らない初心者だけだ。

初心者は思ったことをただ書く。
中級者は色々なパターンを考えた上で、ベストを書く。
上級者はまず書いて、リライト時に全面的に書き直す。

クラスが上になるほど、途中挫折率が減る。
これはどういうことだろう。


本編の文章「以外」に、どれだけ書いたものがあるか、
というその量の違いである。

初心者はなんのことか分からないかも知れない。
自分、原稿用紙、鉛筆と消しゴム以外に何がいるのかと。
(筆記用具はアナログでもデジタルでもよいが、
僕はアナログ推奨)

中級者は、プロットや、キャラクター表や地図のことだ、
と思うかも知れない。
更に詳しいストーリー展開(特に中盤!)の、
メモのこともあるだろう。

実は、執筆とは、
白紙に向かって本文を書くことではない。

その前に、本文と同じぐらいの量のメモをつくることなのだ。

つまり、48000字の二時間シナリオを書く、
10万字の単行本一冊の小説を書くとき、
48000字分、10万字分のメモを先に書くのである。

メモは、具体的な文章や台詞ではない。
こうなってああなって、みたいなことや、
なぜこうなのかとか秘められた真相みたいなことや、
ただのバックストーリーや説明や、
なにかを整理するため表にしたもの、
調べ物した中で使えそうなネタをまとめたもの、
などのことである。
(外見のメモやイラストを書く人もいるだろう)

ときに、原稿そのものよりも分量が増える。

小説「てんぐ探偵」は、実原稿の3倍はメモを書いてる。
十一集、60万字ぐらいの分量だから、180万字のメモ、
ぐらいか。原稿用紙に直せば4500枚分。
積んでも膝までいかないかな。
実際には手書きでA4白紙に殴り書きなので、
足一本ぐらいの高さに積み上げられている。


「最初は書けるんですが最後まで書けません、どうすればいいですか?」
「途中で何を書けばいいか分からなくなってしまいます」
などの質問への答えは、
「何故最後まで作っていないのに、最後まで書けると思ったのか?」だ。


冒頭文を書くのは、
未来、すなわち未だ来たらざるものを、
書くのではない。

既に自分のなかで確定したものを書くのである。
つまり過去を書くのだ。

小説が過去形なのは、このためではないかとすら思う。

シナリオが現在形なのは、
確定した過去を、
今目の前で再現しつつある、というカメラが撮る臨場感を、
文で再現しているに過ぎない。
シナリオで回想があまり薦められないのは、
過去の過去になるからだ。



ここまでは、今まで書いてきたことと重なる。

今回は、これは一言で言うとどういう話なのかを考える、
ということを追加しようとしている。

一言で言うとどんな話かを確定することは、
実は、全文を書くことより難しい。

本文のバランスが変われば、
一言で示す範囲が変わってしまうからだ。


書く前にこうしようと思っていた範囲と、
実際に書けた範囲が異なることは、
書いた経験が多いほど知ることが出来る。

大きくは合っていても、微妙な差が出る。
その微妙な差が、本質を大きく変えることもある。


一言で。

ログラインはそれを掴む方法。
Aな主人公がDする、という大岡式もそのひとつ。
名詞一言のズバリもあるだろう。
キャッチコピーを書くのもそのひとつ。
テーマを書き下してみるのもそのひとつ。
ビジュアル的な面白さや中盤の冒険の面白さもそのひとつ。
簡単な予告編を作るのは、よくある方法。

それは、あなたが他の話をどう一言でとらえるのが上手いか、
にも比例する。
それが上手なら、自分の話もそのようにとらえることが上手だろう。
そしてそれは、上手になるべきだ。



「ようし、お話を書くぞ」と、
おもむろに白紙に本文を書き始めるのは馬鹿だ。

それは、観衆とマイクの前に出て、
何も準備なしで落ちまで話すことに等しい。


慣れた人ほど下書きをする。
CMのコンテですら、メモを先に書いて、落ちが出来たら書く。

自分の話は、一言で言うとこういうことだ。

そこまで何もかも整ったとき、
ようやく冒頭文を書けるときが来る。
posted by おおおかとしひこ at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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