冒頭はとても難しい。
これを難しいと思わないのは、
それを知らない初心者だけだ。
初心者は思ったことをただ書く。
中級者は色々なパターンを考えた上で、ベストを書く。
上級者はまず書いて、リライト時に全面的に書き直す。
クラスが上になるほど、途中挫折率が減る。
これはどういうことだろう。
本編の文章「以外」に、どれだけ書いたものがあるか、
というその量の違いである。
初心者はなんのことか分からないかも知れない。
自分、原稿用紙、鉛筆と消しゴム以外に何がいるのかと。
(筆記用具はアナログでもデジタルでもよいが、
僕はアナログ推奨)
中級者は、プロットや、キャラクター表や地図のことだ、
と思うかも知れない。
更に詳しいストーリー展開(特に中盤!)の、
メモのこともあるだろう。
実は、執筆とは、
白紙に向かって本文を書くことではない。
その前に、本文と同じぐらいの量のメモをつくることなのだ。
つまり、48000字の二時間シナリオを書く、
10万字の単行本一冊の小説を書くとき、
48000字分、10万字分のメモを先に書くのである。
メモは、具体的な文章や台詞ではない。
こうなってああなって、みたいなことや、
なぜこうなのかとか秘められた真相みたいなことや、
ただのバックストーリーや説明や、
なにかを整理するため表にしたもの、
調べ物した中で使えそうなネタをまとめたもの、
などのことである。
(外見のメモやイラストを書く人もいるだろう)
ときに、原稿そのものよりも分量が増える。
小説「てんぐ探偵」は、実原稿の3倍はメモを書いてる。
十一集、60万字ぐらいの分量だから、180万字のメモ、
ぐらいか。原稿用紙に直せば4500枚分。
積んでも膝までいかないかな。
実際には手書きでA4白紙に殴り書きなので、
足一本ぐらいの高さに積み上げられている。
「最初は書けるんですが最後まで書けません、どうすればいいですか?」
「途中で何を書けばいいか分からなくなってしまいます」
などの質問への答えは、
「何故最後まで作っていないのに、最後まで書けると思ったのか?」だ。
冒頭文を書くのは、
未来、すなわち未だ来たらざるものを、
書くのではない。
既に自分のなかで確定したものを書くのである。
つまり過去を書くのだ。
小説が過去形なのは、このためではないかとすら思う。
シナリオが現在形なのは、
確定した過去を、
今目の前で再現しつつある、というカメラが撮る臨場感を、
文で再現しているに過ぎない。
シナリオで回想があまり薦められないのは、
過去の過去になるからだ。
ここまでは、今まで書いてきたことと重なる。
今回は、これは一言で言うとどういう話なのかを考える、
ということを追加しようとしている。
一言で言うとどんな話かを確定することは、
実は、全文を書くことより難しい。
本文のバランスが変われば、
一言で示す範囲が変わってしまうからだ。
書く前にこうしようと思っていた範囲と、
実際に書けた範囲が異なることは、
書いた経験が多いほど知ることが出来る。
大きくは合っていても、微妙な差が出る。
その微妙な差が、本質を大きく変えることもある。
一言で。
ログラインはそれを掴む方法。
Aな主人公がDする、という大岡式もそのひとつ。
名詞一言のズバリもあるだろう。
キャッチコピーを書くのもそのひとつ。
テーマを書き下してみるのもそのひとつ。
ビジュアル的な面白さや中盤の冒険の面白さもそのひとつ。
簡単な予告編を作るのは、よくある方法。
それは、あなたが他の話をどう一言でとらえるのが上手いか、
にも比例する。
それが上手なら、自分の話もそのようにとらえることが上手だろう。
そしてそれは、上手になるべきだ。
「ようし、お話を書くぞ」と、
おもむろに白紙に本文を書き始めるのは馬鹿だ。
それは、観衆とマイクの前に出て、
何も準備なしで落ちまで話すことに等しい。
慣れた人ほど下書きをする。
CMのコンテですら、メモを先に書いて、落ちが出来たら書く。
自分の話は、一言で言うとこういうことだ。
そこまで何もかも整ったとき、
ようやく冒頭文を書けるときが来る。
2015年06月06日
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