とくに打ち文字の人は、時々プリントアウトして、
クリップで止めるなりして、
頭からラスト(または今煮詰まってる所)まで、
「一度に手に持てる形」にするといい。
手書きなら、ノートだとしたらちぎって、
「その作品だけ単独、全部」を、
手に持てる形にするといい。
ひとつの塊、物体にしてしまうのだ。
人間というのは不思議なもので、
全体の外枠が把握出来ると、
中身の整理が出来るようになるものだ。
引っ越し前は荷物が色々あったけど、
引っ越し先の間取りが把握出来た途端、
そこに不要な荷物を捨てたり、
足りないものを買いに行けるようになる。
今日の献立を決めるのは、
個々の材料や栄養を考えることでもあるが、
献立という全体が決まった瞬間、
じゃあれはいらないとか、デザートを追加するとか、
細かいことを考えられるようになる。
男女の交際は、好きとか嫌いとか気にくわないとか認めるとか、
とかく距離の調整のしあいだが、
結婚して一緒に暮らすと決めた途端、
全体にとって今の些細な気持ちの変動は気にならなくなり、
全体にとってすべきことを出来るようになる。
山登りは、目の前の小さな凹凸をクリアし続けることだが、
今何合目と知ることや、全体のアップダウンなどを知ることで、
目の前の小さな凹凸を俯瞰できるようになる。
作劇も同じだと思う。
ただ、山登りの地図のようなものを書くことが、
極めて難しいジャンルであるのだ。
あらすじやプロットやボードがそうか?
ログラインや一言で書いたものはそうではない。
僕は手書きのぐねぐねしたメモをよく使う。
文を矢印やらなんやらで繋げた、
極めて他人には理解できないものだ。
仮にこれを構造地図と呼ぶことにしよう。
これがうまく書けないとき、
全体を手で持つのは、実に簡単な、
「全体を把握する経験」になる。
パラパラめくって、
どういう感情が書かれていたか、
どういう展開が書かれていたか、
どういう段落が書かれていたか、
なんとなく思い出す。
熟読せずにパラパラ見る程度でよい。
で、それを閉じて、手を離したとき、
頭のなかで全体の地図が出来上がっていく。
ああなってこうなってこうなって、というものが。
物語は、文章は一次元だが、
実際には三次元空間で動きのある四次元空間で、
しかも人間関係が複雑で変化するため、
n次元空間だ。
nは話によって異なる。
これを一次元的に地図にかく方法はない、
最適な地図は、物語によって形式が異なる、
というのが僕の経験則だ。
従って、それを頭のなかに構築するための共通の方法とは、
「全体を手で持つ」「パラパラめくって、なんとなく全体を思い出す」
以外にないと思うのだ。
さて、これをやると、
頭のなかに展開の地図のようなものが出来上がる。
(まだ地図をかいてはいけない。頭のなかでだけやること)
ここはもっとこうしたほうが面白くなるとか、
ここは省略したほうが面白くなるとか、
展開や設定やストーリーラインに関することが、
俯瞰で見れるようになるのだ。
これは手で地図をかかず、頭のなかでやるのがコツだ。
頭のなかで処理できる量だけでやるためだ。
所詮観客は頭のなかで処理するのだ。
原稿にこう書いてあるとかは関係ない。
観客の頭のなかに出来上がった全体像こそが作品だ。
その為に頭のなかでこちらが把握するのである。
これを僕は「体に入れる」という。
体に入れるのは、なんとなくだけど一日はかかる。
体に入れると、全体がどう整うべきか、
感覚で分かってくる。
言葉に出来ない地図が体の中に出来上がったのだと思う。
感情の流れが不自然なら受け入れられないから、
感情の流れを自然にするまで書き直さなければならない。
理屈の流れが不自然なら受け入れられないから、
理屈の流れが自然になるまで書き直さなければならない。
(自覚的でない、なんとなくの違和感として感じる場合もある)
リライトが失敗しやすいのは、
この「体に入れる」をせずに、
小手先だけで直しているからだ。
全体でどうかを見ずに、目の前の原稿を直しているからだ。
木を見て森を見ず、になっているのだ。
全体を手で持つこと。
体に入れること。
体のなかで矛盾せず、気持ちよくカタルシスを得られるものにすること。
なんかニューエイジくさいけど、
体の中に全体の地図をつくって、
それが心地よいかどうかで整えていくのは、
かなり感覚的だけど、一番確実な方法だ。
ちなみに僕は改訂が嫌いだ。
一度体に入れて整えた快を乱されて不快になるからだ。
だから最近のCMの直し前提作業に耐えられない。
部分の直しの指示が、全体の快の方向を向いてない。
その矛盾に時々体が不調を訴える。
例えば新しい本を買ってきたとき、
パラパラとめくった次は目次を眺めるように、
おそらくあなたは目次をつくりはじめるだろう。
目次は体の中の地図の指標にはなるが、
目次をつくっても全体が出来る訳ではないことを、
全体から目次を作ったならわかる筈だ。
文房具屋で、事務用の大きめのクリップを買ってこよう。
何十枚もの紙をガバッと挟める奴だ。
店員さんに60枚の紙をクリップで挟みたいなどと伝えれば、
大きい奴を紹介してくれる。
それで全体をひとつの塊にしてみよう。
持ったり重さを実感したり、
めくったり戻したり、
とにかくこの世界に、実体として存在させよう。
実体として存在したら、形を整えたくなるものだ。
ちなみに、今書いている原稿から。
畳は気にしない。笑
手書きの第一稿と文字打ちの第一稿。
パラパラめくって手で触ったり、持ったりすること。
41話と42話の構造地図。ぐねぐねしたメモ。
プロットは別紙にある。もう少し細かいことを書いている。
話によって構造が異なることが分かるとよい。
2015年06月09日
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