いい感じに入道雲がかけたので、
これを元に創作論をしてみる。
デジタルが蔓延して以来、
トレースが創作と勘違いされる節がある。
うまくコピペするとか、
コピペをベースに上書きすると効率がいいとか。
しかしそれは間違った方法論だ。
それは、似たようなものの蔓延であり、
「新しいものを作る」という創作ではない。
次のイラストはてんぐ九集用の中表紙だが、
この入道雲はトレースしていない。
ぼくがこれをかきながら思っていたことは、
入道雲の気持ちだ。
ディテールが噴煙に似てるなあとかきながら気づいた。
最近の噴火の写真や動画を見てたからかも知れない。
昔から入道雲は爆発に似てるなあとも思っていた。
昔からいい入道雲をかきたいと思っていたが出来たことがない。
入道雲は巨大だ。
巨大だから、ウルトラマンやゴジラを撮るときみたいに、
スローモーションで動いているように見える。
入道雲は巨大な爆発の、スローモーションの途中だ、
ということは分かっていた。
(入道雲をタイムラプスで見るとよく分かるよね)
入道雲が暑さによる上昇気流で出来るものであることは、
中学生以上なら誰でも知っている。
しかし噴火に似てるなあと思ったことが、
さらなる洞察を入道雲にもたらす。
つまり入道雲も噴煙も、
猛烈に四方八方に飛び散りたい個々で出来上がっているのだと。
パーツパーツは猛烈に四方八方に飛び散りたい。
それらが集積して、より強い四方八方力の部分が大きくなり、
弱い四方八方力を押し退ける。
全体に熱いから、大きくは上昇気流だけど、
常に猛烈な四方八方力が働いている部分の集積だ、
という洞察だ。
これが分かると、入道雲や噴煙の中の、
熱い気流の流れが立体的に想像できるようになる。
木の幹と枝のように、入道雲や噴煙の中の骨格がわかるのだ。
暑くてたまらん、という熱い上昇気流のねじれをつくりあげ、
上に向かう力が有り余って猛烈に表面に表れる、
四方八方力をかくことに集中すればよい。
僕は、小学校六年の時に見た入道雲が生涯のベスト入道雲だ。
夏休みのプールの中から見た。
多分空気がクリアだったのだろう。
物凄くクッキリ見えて、怖かった。
あのときの入道雲がかきたくて、もう何十年もずっと試行錯誤してきた。
今回の洞察を経て、少し近づいたと思う。
あのときの入道雲は、きっとあまりの熱さに、
身をよじりながら四方八方に散ろうとしていたのだ。
僕は生ぬるいプールからそれを見上げていたのだ。
ちなみに画像検索して出てきたこの写真を、
何回か途中に眺めている。
参考にしたのはディテールの細かさと、ライティングだ。
ついつい癖でナナメ横に陰を描いてしまうけど、
夏の日差しの強い光を表現するには、
トップ光(真上)がいいのか、と気づいたからだ。
記憶の中の理想。
観察と似てるものから洞察する、
そのものの構造や気持ち。
リアリティーのディテール(密度や光の当たり方)。
つまりトレースなんて、
一番下の行しか再現できたことにならない、
ペラッペラの産物に過ぎない。
ガワだけがいかに意味がないか。
ちなみに、「唐揚げで爆発がつくれる」が流行ったけど、
唐揚げには四方八方力がある。
だから唐揚げで入道雲もつくれると思う。
で、つくってみた。
創作ってのは、こういうことだと思う。
2015年06月08日
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