2015年06月08日

創作は、トレースではない

いい感じに入道雲がかけたので、
これを元に創作論をしてみる。

デジタルが蔓延して以来、
トレースが創作と勘違いされる節がある。
うまくコピペするとか、
コピペをベースに上書きすると効率がいいとか。
しかしそれは間違った方法論だ。
それは、似たようなものの蔓延であり、
「新しいものを作る」という創作ではない。

次のイラストはてんぐ九集用の中表紙だが、
この入道雲はトレースしていない。


九集中表紙.jpg

ぼくがこれをかきながら思っていたことは、
入道雲の気持ちだ。

ディテールが噴煙に似てるなあとかきながら気づいた。
最近の噴火の写真や動画を見てたからかも知れない。
昔から入道雲は爆発に似てるなあとも思っていた。

昔からいい入道雲をかきたいと思っていたが出来たことがない。
入道雲は巨大だ。
巨大だから、ウルトラマンやゴジラを撮るときみたいに、
スローモーションで動いているように見える。
入道雲は巨大な爆発の、スローモーションの途中だ、
ということは分かっていた。
(入道雲をタイムラプスで見るとよく分かるよね)


入道雲が暑さによる上昇気流で出来るものであることは、
中学生以上なら誰でも知っている。

しかし噴火に似てるなあと思ったことが、
さらなる洞察を入道雲にもたらす。
つまり入道雲も噴煙も、
猛烈に四方八方に飛び散りたい個々で出来上がっているのだと。

パーツパーツは猛烈に四方八方に飛び散りたい。
それらが集積して、より強い四方八方力の部分が大きくなり、
弱い四方八方力を押し退ける。
全体に熱いから、大きくは上昇気流だけど、
常に猛烈な四方八方力が働いている部分の集積だ、
という洞察だ。
これが分かると、入道雲や噴煙の中の、
熱い気流の流れが立体的に想像できるようになる。
木の幹と枝のように、入道雲や噴煙の中の骨格がわかるのだ。
暑くてたまらん、という熱い上昇気流のねじれをつくりあげ、
上に向かう力が有り余って猛烈に表面に表れる、
四方八方力をかくことに集中すればよい。

僕は、小学校六年の時に見た入道雲が生涯のベスト入道雲だ。
夏休みのプールの中から見た。
多分空気がクリアだったのだろう。
物凄くクッキリ見えて、怖かった。

あのときの入道雲がかきたくて、もう何十年もずっと試行錯誤してきた。
今回の洞察を経て、少し近づいたと思う。
あのときの入道雲は、きっとあまりの熱さに、
身をよじりながら四方八方に散ろうとしていたのだ。
僕は生ぬるいプールからそれを見上げていたのだ。


ちなみに画像検索して出てきたこの写真を、
何回か途中に眺めている。
入道雲見本.jpg


参考にしたのはディテールの細かさと、ライティングだ。
ついつい癖でナナメ横に陰を描いてしまうけど、
夏の日差しの強い光を表現するには、
トップ光(真上)がいいのか、と気づいたからだ。


記憶の中の理想。
観察と似てるものから洞察する、
そのものの構造や気持ち。
リアリティーのディテール(密度や光の当たり方)。

つまりトレースなんて、
一番下の行しか再現できたことにならない、
ペラッペラの産物に過ぎない。
ガワだけがいかに意味がないか。



ちなみに、「唐揚げで爆発がつくれる」が流行ったけど、
唐揚げには四方八方力がある。
だから唐揚げで入道雲もつくれると思う。




で、つくってみた。
にゅうどうぐも.jpg


創作ってのは、こういうことだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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