2015年06月09日

一幕とは、最低限の前提である

よくある失敗のひとつに、
冒頭から勢いよく書いて、
第一ターニングポイントをどや顔で書き、
そこでぱったりと二幕を書けなくなるパターンがある。

僕もずっとこれに悩んできて、
最近これならこのパターンに陥らない、
というパターンが見えてきた。

それは、「第一ターニングポイントを意識しない」というやり方だ。



三幕構造を理解することは、
必ずしも三幕構造で書くことが上手くなることを意味しない。
むしろ自分の投球フォームが分からなくなって、
ガタガタに崩れることもよくある。
自力で回復する地力があれば別だが、
大抵は挫折が待っている。

三幕構造を意識しすぎるからダメなのだ。

以下、三幕に分けない、という根本的なやり方。



自分の話を、たった二つに分ける。

クライマックスと、それ以前だ。
それ以前全部を本編と呼ぼう。

つまり、話とは、本編とクライマックスからなる。

クライマックスは決着がつき、カタルシスがあり、
テーマが暗示的にあらわされる、
山場とその終結までだ。
この山は、ストーリーテラーを志すなら、
どうやったって書けるだろう。
一番書いていて楽しい所のはずだ。
(上級者ほど苦しい。何故なら今まで書いた何百ものクライマックスを越えたいと思うから)

だから問題は、クライマックスではなく本編である。


本編が難しい。
紆余曲折とか、クライマックスまでの道筋などと考えるといい。
とにかく色々あることを、色々考えるといい。
多すぎて何個か削らなきゃいけないぐらい、
色々考えるといい。

最初はスプレッドで発想してもいい。
それを時系列に結びつけるように改良すればいい。

慣れてきたらこれのあとにこれが来る、
などと考えるといい。
さらに慣れてきたら、サブプロットをつくり、
本筋と脇筋を作って、絡めてみるといい。
登場人物を多く捌くのも楽しいものだ。

そうこうしているうちに、
話がまとまってくる。
一本の物語の本編らしくなってくる。

その時に、全体の地図をかこうとするだろう。
この時はじめて、一幕と二幕を分ければいいのだ。

分ける基準は、
「最低限の前提がなされた所まで」だ。

本編がどういうものか既に分かっていれば、
自然と最低限の前提がどこでなされているかわかる筈だ。
その前提が設定し終わった所までが第一幕である、
と考えると楽である。

第一ターニングポイントは、
ここではじめて追加してもいいかも知れない。



本編を先に考えろ。
どういう展開になるかを先に考えろ。

そのための最低限の前提が、境目だ。


(風魔で言えば、二話終わりまでだ。
ここまでで最低限の前提が終了している。
第一ターニングポイントは風魔集結で、
主人公小次郎がここで茅の外になっているのが大変惜しい)



一幕→第一ターニングポイントと筆を進めるから、
途中で挫折する。
まず本編を書く、と意識すると、
一幕二幕なんて関係なくなる。
関係なくなったあとで、理論的にあってるかどうかを考えればいい。

まずクライマックス以前の本編をきちんと作ること。
そこに注力してみよう。
posted by おおおかとしひこ at 02:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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