自分の原稿だけではない。
他人の原稿を見ると、自分のそれと比較して参考になることがとても多い。
シナリオは生原稿はないかも知れないが、
小説なら多くの生原稿が残っているだろう。
そうでなくとも、プロの原稿を手に入れ、
自分の原稿をそのフォーマットに変換して、
彼我の差を比較することは、
大変参考になる。
そのフォーマットで書き写すのも大変勉強になるだろう。
勿論手書きがいい。体に入れる感覚である。
あるいは、演じてみるのも体に入れる感覚を掴める。
一場面ではなく、必ず最初から最後までの「全体」だ。
とにかく物体として手に持つことが出来るようにする。
時計の分解をするように、物体にしてみるのだ。
人の原稿を覗いてみるのはいい経験だ。
漫画のアシスタントや、昔の小説家の書生は、
そうやって生原稿を手に持つ経験が沢山あったと思う。
だから感覚を盗めたのだ。
昭和の話を聞くと、シナリオライターも弟子入りしたと聞く。
先生の原稿を原稿用紙に清書するのは、
弟子の仕事だったという。
なんて羨ましいんだろうと嫉妬する。
一番体に感覚が刻める方法ではないか。
デジタル時代になって、
一から勉強するのは、逆に難しくなっていると思う。
他の情報が氾濫しすぎて何が正解か、惑わされるだけだ。
そういうときはアナログの方法論のほうが強い。
デジタル時代の名作家より、
アナログ時代の名作家のほうが偉大だ。
それは、鍛練の度合いが違ったのではないか、
という仮説を立てている。
2015年06月09日
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