2015年06月09日

全体を手に持つ経験2

自分の原稿だけではない。
他人の原稿を見ると、自分のそれと比較して参考になることがとても多い。


シナリオは生原稿はないかも知れないが、
小説なら多くの生原稿が残っているだろう。

そうでなくとも、プロの原稿を手に入れ、
自分の原稿をそのフォーマットに変換して、
彼我の差を比較することは、
大変参考になる。

そのフォーマットで書き写すのも大変勉強になるだろう。

勿論手書きがいい。体に入れる感覚である。


あるいは、演じてみるのも体に入れる感覚を掴める。
一場面ではなく、必ず最初から最後までの「全体」だ。

とにかく物体として手に持つことが出来るようにする。
時計の分解をするように、物体にしてみるのだ。


人の原稿を覗いてみるのはいい経験だ。
漫画のアシスタントや、昔の小説家の書生は、
そうやって生原稿を手に持つ経験が沢山あったと思う。
だから感覚を盗めたのだ。

昭和の話を聞くと、シナリオライターも弟子入りしたと聞く。
先生の原稿を原稿用紙に清書するのは、
弟子の仕事だったという。
なんて羨ましいんだろうと嫉妬する。
一番体に感覚が刻める方法ではないか。


デジタル時代になって、
一から勉強するのは、逆に難しくなっていると思う。
他の情報が氾濫しすぎて何が正解か、惑わされるだけだ。
そういうときはアナログの方法論のほうが強い。
デジタル時代の名作家より、
アナログ時代の名作家のほうが偉大だ。
それは、鍛練の度合いが違ったのではないか、
という仮説を立てている。
posted by おおおかとしひこ at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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