2015年06月12日

結論なんて最初に出ている3

ある面白い話が出来たとしよう。
それが意味するテーマもきちんと出来ているとしよう。

それが世の中で価値があるかはどうやって決まるのか?

その結論が、世の中に意味があるときだけだ。


たとえば今武士道に意味はあるだろうか。

「主君に仕え、命を懸けても名誉を重んじ…」は、
現代に意味はない。
信頼できる人のために働くことは意味はあるが、
命を懸けて名誉を重んじることは大切だろうか。
名誉のために偽装することは善だろうか。
そう考えると武士道に意味はない。

ただし、現代に失われてしまった、貴重な価値観を現代人が知る、
という意味では武士道は意味があるかも知れない。
まっすぐに生きる、などの考え方とか。
(武士が現代にタイムスリップしてくる話では、
たいていこれがテーマになる)


結局、テーマが現代に意味があるかどうかは、
現代がどういう時代であるかという認識と、
その現代にこの一石を投じることに意味があるかどうか、
を見極める必要があるのだ。

それを文字や理屈で認識するのは、なかなかに難しい。
しかも書く前からそれを書くのは困難だ。

書き終えてから、どういう意味があったかを考察するといいかも知れない。


我々は社会学者や歴史学者や経済学者や政治学者ではない。
現代がどういう時代であるかを言葉にすることは本職ではない。
それらを無意識にとらえ、物語の形で一石を投じるのが我々文学者である。
それが現代社会にとって、とても意味があるときだけ、
その物語は跳ねる。

勿論、気づかれないまま埋もれていく、
一石を投じる意味のある物語もあるだろう。
意味のない物語が、商売に乗りやすいという理由で金儲けに使われることもあるだろう。

しかし我々は、意味のある結論を書かなければならない。
それらを見いだし、流布させる価値があると判断するのは、
プロデューサーだったり編集者の仕事である。
(そういう骨太な人に最近会ってないのが残念なのだが)

現代社会にとってどういう意味があるのか。
それだけが、お話の(現代社会での)価値である。



さて、「てんぐ探偵」はどういう意味があるかな。
大体見えてきた気がするよね。
それを書けば、企画書になるよね。
posted by おおおかとしひこ at 11:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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