2015年06月14日

アツイ時2

それは多分アドレナリンが出るときだ。
セロトニンが出る時ではない。


アドレナリンは、敵や危険が迫った時に出る。
セロトニンは、安心したり幸せになると出る。

映画は、
アドレナリンを出しまくり、
最後にセロトニンを出させるメディアだと言える。


多くの初心者の間違いのひとつは、
セロトニンを出す場面ばかり書いてしまうことだ。

つまり、幸せな場面(キャラ同士のイチャイチャ)、
穏やかな場面、理想郷、ラッキーなどだ。
それらを書くこと自体がセロトニンを分泌するため、
書き手が幸せになってしまい、
それで自己完結してしまうのである。

二次創作のSSにこのようなパターンが多いのは、
これが理由だ。
(例えば風魔の二次創作は、風魔の里にみながいた頃の、
各キャラ同士のイチャイチャが大変多い。
勿論ファンの妄想行為だから寛大に無視するが、
これはストーリーではないことは、プロを目指すならば知っておくべきだ)

書き手の幸せなんて無視だ。
ストーリーが面白いことこそ、
(最終的な)書き手の幸せなのだ。

セロトニンを出す場面は、所詮場面でしかないことが多い。
セロトニンは安定した状況で分泌されるからだ。
つまり、一場面しか持たない。
だから、SSから入った人は、ストーリーの書き方すら知らないと言える。


物語は場面ではない。
ある場面と場面の変化が、一連に繋がっていることである。

従って、常に変化のうねりが存在する。
その不安時に出るものがアドレナリンだ。
これからどうなるか分からないドキドキハラハラこそが、
アドレナリンを出させて、興奮する瞬間を作るのである。

アドレナリンは、危険の度合いに慣れやすい性質があるらしい。
ずっとアラートが鳴っていたら慣れてしまうのだ。
だから、アドレナリンを放出させ続けるには、
危険を釣り上げていくのが一番だ。
これがインフレの理由だ。


釣り上げて釣り上げて、最後にハッピーエンドでセロトニンを放出させる。

だから映画はやめられないのである。
posted by おおおかとしひこ at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック