それは多分アドレナリンが出るときだ。
セロトニンが出る時ではない。
アドレナリンは、敵や危険が迫った時に出る。
セロトニンは、安心したり幸せになると出る。
映画は、
アドレナリンを出しまくり、
最後にセロトニンを出させるメディアだと言える。
多くの初心者の間違いのひとつは、
セロトニンを出す場面ばかり書いてしまうことだ。
つまり、幸せな場面(キャラ同士のイチャイチャ)、
穏やかな場面、理想郷、ラッキーなどだ。
それらを書くこと自体がセロトニンを分泌するため、
書き手が幸せになってしまい、
それで自己完結してしまうのである。
二次創作のSSにこのようなパターンが多いのは、
これが理由だ。
(例えば風魔の二次創作は、風魔の里にみながいた頃の、
各キャラ同士のイチャイチャが大変多い。
勿論ファンの妄想行為だから寛大に無視するが、
これはストーリーではないことは、プロを目指すならば知っておくべきだ)
書き手の幸せなんて無視だ。
ストーリーが面白いことこそ、
(最終的な)書き手の幸せなのだ。
セロトニンを出す場面は、所詮場面でしかないことが多い。
セロトニンは安定した状況で分泌されるからだ。
つまり、一場面しか持たない。
だから、SSから入った人は、ストーリーの書き方すら知らないと言える。
物語は場面ではない。
ある場面と場面の変化が、一連に繋がっていることである。
従って、常に変化のうねりが存在する。
その不安時に出るものがアドレナリンだ。
これからどうなるか分からないドキドキハラハラこそが、
アドレナリンを出させて、興奮する瞬間を作るのである。
アドレナリンは、危険の度合いに慣れやすい性質があるらしい。
ずっとアラートが鳴っていたら慣れてしまうのだ。
だから、アドレナリンを放出させ続けるには、
危険を釣り上げていくのが一番だ。
これがインフレの理由だ。
釣り上げて釣り上げて、最後にハッピーエンドでセロトニンを放出させる。
だから映画はやめられないのである。
2015年06月14日
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