映画ドラマが「女性向け」が増えて、
セロトニン系ばかりになってしまった気がする。
セロトニンは、安定した状況で出る。
つまり誰も傷つかない状況での、
人と人のじゃれあいで出る。安心や幸せのホルモンである。
特に女性向けでは、セロトニンが出るものが好まれる。
カップルの仲直り前提でのケンカや、
女のいない男同士でのわちゃわちゃだ。
(男のなかに女がいれば、集団が崩壊しやすく、
セロトニンではなくそれはアドレナリンの放出になるからだ)
何故だか女同士でのきゃいきゃいは好まれない。
普段身の回りにあるリアリティーから見ると、嘘臭いからかも知れない。
一言で言うと、「萌えー」なのかも。
いずれにせよ、
アドレナリンが出るような不安定な関係よりも、
安定前提での何かがセロトニンを出して好まれる。
「人気俳優を見るためにドラマを見る」という動機がそもそもそうだ。
登場人物の不安定なアドレナリンや焦点には興味がなく、
人気俳優のコスプレや日常のわたわたの、
セロトニンが出るものを好んで見るようである。
これが、アドレナリンを前提とし、
不安定な構造を尊ぶ、「物語」と、相性が真逆なのである。
テレビや映画は女子供が見るようになって詰まらなくなった、
と男が言うとき、このことを言っているのだ。
男はセロトニンにはあまり興味がなく、アドレナリンに興味がある。
爆発ドーンを見ればテンションが上がる。
どうなるか分からない不安定な状況にこそ興奮を得る。
(極端な例では、ヘリで雪山の頂上にいき、
スノボ一枚で降りて来る楽しみがテンションを上げる。
僕は怖くて無理だけど、その不安定な冒険こそが楽しいとそれをする人は言う)
脳内ホルモンの分泌とか、
男女の文化差とかそういう話だが、
それは、ドラマや映画の好みに、如実に現れるのである。
(勿論、全員がそうだと断言しないが、
明らかに有意差があるという話だ)
だから昨今のドラマは、女が見るセロトニン系ばかりだ。
安定前提での何か、が企画だと思われがちだ。
○○が△△に挑戦!
(成功前提。失敗しても命や社会的名声を失う訳ではない)
というタイプの企画はみなそうだ。
そんなものは、ただのバラエティーだ。
安心前提なんて、ただのショウだ。
どんな危険があるかが、物語の企画だ。
物語とは変化のことだ。
それはつまり、変化のアドレナリンが常に出続ける、
危険な状態のつづきもの、ということだ。
セロトニンが出るような安定なんてない。
ずっと不安なのだ。
最後にセロトニンがドバーッとハッピーエンドになるまで、
危険は一度たりとも解決しないのだ。
その意味では、女向けのドラマは物語ではない、
とさえ極論できる。
さらに言えば、女向けのセロトニン系ドラマなんて、
ただのかくし芸大会である。
男たちが好むアドレナリン系は、一時ゲームの世界に行った気がする。
最早映画にはアドレナリンを出すほどの危険映像は作れないのかも知れない。
(CGの魔法が何でも作れると思われたが、逆に嘘ばかりになり、
リアルの迫力の方が好まれるようになった。
ゴープロやドローンなどの主観カメラ映像はその革命的なにかをもたらそうとしたが、
アホが自撮り棒で迷惑かけたり官邸に突っ込んで早速規制だ)
しかしゲームが専門性が高くなりすぎて、
パズドラなどのスマホに市場がうつって、
コンシューマーゲームは先細りつつある。
アドレナリンの疑似体験としての物語は、
映画からもドラマからもゲームからも、撤退しつつある。
次どこへ行くのかは分からない。
(男、危険そのものが、女性社会から排除されている気もするけど)
と、いうことで、アドレナリンの出る次の舞台を見つけることは、
これからの物語がとても求めていることではないかと思う。
「火星進出まで好景気は来ない」と僕は最近冗談でよく言う。
それは、そこまで冒険がリアルにないのでは、という予感がするからだ。
(「テラフォーマーズ」には期待したのだが、最近全く詰まらない)
「萌えー」じゃねえんだよ。「燃え」なんだよ欲しいのは。
ちなみに、冒険の次の舞台は「心(脳)の中」だ、
そこなら新しい物語(=アドレナリン)が描ける、
と思った僕の直感が、「てんぐ探偵」を書かせているようだ。
そこまで上手く行ってるかどうかは、皆さんが評価してください。
「傑作選」が手っ取り早く読める気がします。
俺のブログはアフィ0なので(貼りついてる広告はSeesaaのもの)、
今のところ金銭は発生してないから、ステマじゃないよ。
2015年06月15日
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