2015年06月17日

設定は使い捨て

設定は書けてもストーリーを書けない人は、
きっと知らないと思う。

設定なんて、ストーリーの度につくって、
使い捨てだよ、ということ。


大体設定ばかり書く人は、
大長編を想像している。
今ならワンピースとかドラゴンボール?
ラノベ的ななにか?
僕らのころは、北斗の拳や風魔の小次郎やキン肉マンだった。

そんなもの書くのは、一生に一本ぐらいだぜ。
それはそれで置いといて、
(構想するぶんには楽しいから)
短編を何度も書いて練習するべきだ。
その長編をいつか書くための、短編を練習台にするつもりで。

で、気づくのである。
短編って何本書けばいいんだ?と。
構想している大長編を書ける実力がつくまで、
と考えるとしよう。
3本?10本?20本?

そこではたと気づくのだ。
そんなに設定のパターン考えられないよ、と。

実は、そこまで設定を詰めることは、
ストーリーを書く上では必要ない、ということに、
大長編だけを見ていると中々気づかない。
(そして大長編を書くときも、都度あとづけのことが多い。
それは、書いてる時に乗ってきて新たなアイデアが湧くからだ)

10本の短編の設定を考えるのは、中々に苦痛だと気づくだろう。
そのうち気づくのだ。
設定優先ではなく、
事件優先の話の作り方に。

前項でのエクササイズで、
実は最も難しいのは、二人の間に、適度な「話題」を投下することだった。
だとすると、
話題さえ思いつけば、あとはどうにかなる、
ということに気づく筈である。

即ち事件である。

面白げな事件さえ思いつけば、
それあわせで設定と解決をつくることが出来るようになる。

すると、短編が面白いように書けるようになるはずだ。

何本も書くと、
設定なんて使い捨てだ、とわかってくるだろう。

むしろ、普通の人に起こる変わった事件が、
短編では面白い。
設定なんて益々意味がないことに、書けば書くほど気づくだろう。


短編を数多く書くこと。
これは、ストーリーの最も簡単な練習だ。
事件を起こし、解決しよう。
その度に設定なんて使い捨てだ。

一個の設定を後生大事にしてる余裕は、ない。

(気に入った設定があったら、
使い回すとシリーズ化となるが、それはまた別の話)
posted by おおおかとしひこ at 03:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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