設定は書けてもストーリーを書けない人は、
きっと知らないと思う。
設定なんて、ストーリーの度につくって、
使い捨てだよ、ということ。
大体設定ばかり書く人は、
大長編を想像している。
今ならワンピースとかドラゴンボール?
ラノベ的ななにか?
僕らのころは、北斗の拳や風魔の小次郎やキン肉マンだった。
そんなもの書くのは、一生に一本ぐらいだぜ。
それはそれで置いといて、
(構想するぶんには楽しいから)
短編を何度も書いて練習するべきだ。
その長編をいつか書くための、短編を練習台にするつもりで。
で、気づくのである。
短編って何本書けばいいんだ?と。
構想している大長編を書ける実力がつくまで、
と考えるとしよう。
3本?10本?20本?
そこではたと気づくのだ。
そんなに設定のパターン考えられないよ、と。
実は、そこまで設定を詰めることは、
ストーリーを書く上では必要ない、ということに、
大長編だけを見ていると中々気づかない。
(そして大長編を書くときも、都度あとづけのことが多い。
それは、書いてる時に乗ってきて新たなアイデアが湧くからだ)
10本の短編の設定を考えるのは、中々に苦痛だと気づくだろう。
そのうち気づくのだ。
設定優先ではなく、
事件優先の話の作り方に。
前項でのエクササイズで、
実は最も難しいのは、二人の間に、適度な「話題」を投下することだった。
だとすると、
話題さえ思いつけば、あとはどうにかなる、
ということに気づく筈である。
即ち事件である。
面白げな事件さえ思いつけば、
それあわせで設定と解決をつくることが出来るようになる。
すると、短編が面白いように書けるようになるはずだ。
何本も書くと、
設定なんて使い捨てだ、とわかってくるだろう。
むしろ、普通の人に起こる変わった事件が、
短編では面白い。
設定なんて益々意味がないことに、書けば書くほど気づくだろう。
短編を数多く書くこと。
これは、ストーリーの最も簡単な練習だ。
事件を起こし、解決しよう。
その度に設定なんて使い捨てだ。
一個の設定を後生大事にしてる余裕は、ない。
(気に入った設定があったら、
使い回すとシリーズ化となるが、それはまた別の話)
2015年06月17日
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