2015年06月19日

「どう面白いか説明できない」

この台詞を言われるたびに、自分の作品が分かりにくいだめなものだと思っていた。
しかし最近気づいたのだ。そうとは限らねえぞと。

だって、「そいつの説明能力が貧弱である」ってファクターがあるぜ?



「面白いけど、世間で流せば絶対面白いと思うけど、
上をどうやって説得していいか分からない」
何度こう言われて、僕は企画を倉庫に入れただろう。

なんてこの人は無能なんだろう、と僕はいつも思っていたが、
この人の説明能力が単に貧弱なのだ、と思うことにして、
「じゃ一緒に(説明しに)いきましょうか」
と言えばいいと分かったのは最近だ。


今の複数のレイヤーを通す製作過程では、
直接つくる人が、最後のレイヤーまで同席出来る確率はほぼ0だ。
これが今の作劇を詰まらなくしている元凶だと僕は思っている。


上に説明できるのは、作る人間なら当たり前だ。
それぐらい朝飯前だ。
なんなら朝までだって説明できる。
どこが分からないか分かれば、やさしく説明してやるぜ。
なんでそんなに説明できるのかって?
説明なんて氷山の一角だ。
氷山全部ぐらい、考えに考えたからさ。
そのシンプルな結論の為に、何十万もの悩みがあったんだ。


ある映画を見た時に、
それがどう面白いのか説明できる?

それが出来ないのなら、あなたはフィルムメイカーに向いていない。
今その場にないものを、今その場にあるように、
その面白さの本質を再現してみせずに、
どうやって「その場にないもの」をみんなでつくるんだい?
みんながてんでバラバラなゴールイメージだとしたら、
空中分解まったなしだ。



沢山いい企画を書いてきたと思う。
(捨ててはいないからいつかサルベージして公開したい)
いいなと思ったほとんどが、
「上を説得できないから」という理由でその場で泡と消えたと思う。
もちろん、未熟な企画もあっただろう。

だけどさ、どう面白いか、今のほとんどの馬鹿宣伝部は説明できないんじゃない?
だから上層部に下手な説明しか出来なくて、
「人気芸能人確保」「人気原作確保」しか言えないんじゃない?
だから日本映画はそろそろヤバいんじゃない?

その人たちをこき下ろすのは簡単だ。
でもその人たちが生まれ変わって説明が上手くなるのを待っていては、来世になる。
ああ、ぜんぜん一緒に説明に行きますよ、
とうまく滑り込むようにしたいものだ。

だって、自分の血肉を分けた作品を、説明能力が貧弱な奴に渡して潰される経験を、
おれはもう100回以上もしてきたのだから。
(それはシステム上出来なかった。今の時代はその壁を破らなくては)


相手を良く見ろ。
その人は説明能力が貧弱か?
好きな映画はなんですか?と聞いてみよう。
どんなところがいいと思いますか?と世間話のように聞いてみよう。
うまく説明が出来なかったら、説明能力が貧弱な奴だ。
そいつに、自分のオールを任せるな。(中島みゆき風にね)


逆にあなたはどうだ?
朝までかかって説明できるか?
逆に1分でできるか?
5分でできるか?
10分でできるか?
全てのバージョンで、高いクオリティを出せるか?

そこまで、自分の作品とは何かを、考えているか?
posted by おおおかとしひこ at 06:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック