2015年06月20日

手で持てる話

また感覚的な話だけど。

手に何も持たず散歩しよう。
外部記憶としてのケータイやメモ帳禁止。
体がほぐれた頃、歩きながら、
あるお話(あなたの創作でもいいし、既存でもいい)を、
架空の誰かに向かって説明してみよう。
頭から尻まで演じるのではなく(一部演じてもいい)。

どんな話でも、5分程度で説明するだろう。
歩きながらだと複雑な説明は出来ないからだ。

それを、「手に持てるレベルのおはなし」と呼ぶことにしよう。


大体、机に向かっているから、
話が複雑に、ややこしくなっていくのだ。
じっと粘って考えすぎるから、
たいして面白くない話だと気づかずに、
小さな所をこねくり回して、面白くならないと煩悶するのだ。

それは重箱の隅をつついただけのものになってしまう。


良くできたお話を、手に持てるレベルにしてみると、
「話の構造そのもの」が面白い、ということがすぐわかる。

昨日の飲み会で例に出したのは、傑作「ギャラクシークエスト」。
「スタートレック風B級SFテレビドラマのやる気のないキャストたちが、
そのテレビ放送を本当のことだと信じてる宇宙人に、
我が星を救ってくださいと頼まれ、その星へいく」という、
構造が抜群に面白い。
この面白さは、
「芝居が出来ないからセクシー担当の衣装を着させられたが、
いい年なので恥ずかしいオバサン役をシガニーウィーバーが演じてる」とか、
「劇中の『ネバーギブアップ!ネバーサレンダー!』の決め台詞が恐ろしくダサイが、
ファンは歓喜するので仕方なくやっている」などのディテールの面白さよりも、
上位概念である。

話を手に持てるレベルにすると、
このようなディテールの面白さははがれおち、
本質の構造的な部分だけが残ることになる。


歩きながら、何も手に持たずに話すと、
話を手に持てるレベルにすることが出来る。

実際には、頭の中の短期記憶で持っているのかも知れないけれど、
何も手に持っていない感覚から、
話を手で持っているような感覚にすることが出来るのだ。

多分あなたは身ぶり手振りを付け加えて話をするに違いない。
(重ね重ね言うが、その怪しい姿を知り合いに見られないようにすること)
その時のあなたは、「両手でキャベツを持っているような手」になっているはずだ。
(元ネタは、意識高い系の人のインタビュー画像が、
大体両手を体の前の空間に出した同じポーズなので、
そこにキャベツを持たせてみた、と合成したネットのネタ。
「キャベツを持たせてみた」でググってください)


話が手で持てるレベル。
手で持てるレベルで、面白い話にすること。

ディテールの面白さだけでない、
本当に面白い話は、
手で持てるレベルで既に面白い。


そういう風になっているか、
常に自分の作品をチェックするのに、
この方法はオススメだ。

あ、昼間はやめといたほうが。



僕はリライトにも、構想を詰めるときも、
こういう感じでやっている。

話を手に持ってみる。

歩きながらやるのがコツ。
何故なら、人類は歩きながら進化した生き物だから、
多分、それで把握できる分量程度が本質的だからだと、推測できる。

机の前で座っていて、大量のメモを一覧したり、
スマホのメモをいちいち見ていたりしていては、
その経験を積むことは出来ない。

さあ、手ぶらで散歩できるルートを開拓しておこう。
僕は隣駅に行くルートと、多摩川ルートの二つがある。
30分以内が楽なところだ。
posted by おおおかとしひこ at 16:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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