2015年06月20日

最後まで書けないのは漫画ばかり読んでるから?

漫画を読まない人で、脚本を書こうという人なんて殆どいないだろう。
誰もが漫画の影響下にある国が日本かもだ。

ところが、漫画に夢中になればなるほど、
脚本に悪影響があるのでは、
ということに気づいた。

何故なら、「うまく完結する漫画は稀」だからだ。


映画は落ちが全てだ。
ラストシーンでテーマが定着し、
これまでの物語の意味が決まる。
その為に落ちの逆の状態からはじめて、
最初と最後の落差を最も大きくし、
間の紆余曲折を楽しめるように作る。

つまり、全体の設計図があり、
書き終えてもなお、全体をバランスしなおし、
最も落ちが効く形に練り直す。


しかし、漫画の作り方はそうではない。
勿論ある程度の構想はあるだろうけれど、
週刊漫画は特に自転車操業だろう。

ジャンプ方式でアンケートに展開が左右される場合もある。
人気がある限り続けさせられ、
最終回を迎えたくても迎えられず、
壊れていく漫画家が殆どだ。
ベストの最終回を迎えられた作品なんて、
母数に比べれば一握りだろう。
(ジャンプだとリンかけぐらいじゃね?)

一本で完結するものと、
続き物で儲けるスタイルの違いだ。

極端な話、
最終回が糞で、テーマなんて何もなくて、
意味不明で、物語の意味が決まらなくても、
その一話前までがおもしろければ、
儲かるのだ。
「最終回できちんとまとまった」漫画のいかに少ないことか。

だから、漫画とはほぼ全て、
「途中まで面白くて、途中から面白くなくなるもの」
のことなのである。

コミックス売りが馬鹿に出来ない分量になってきたから、
流石に最近はちゃんと終わらせる作品も増えてきたが、
それにしても、映画のような、
落ちでテーマが決まるような見事なものはレアだ。


だから、
漫画の(悪)影響を受けている人ほど、
「うまく落とす」のが下手なのではないか。


映画で落ちがダメなものは、
確実に糞だ。
(逆に落ちだけよくて途中がダメなものも、
それなりに評価される)
糞ラスト映画は二度と見なくていい。たとえ途中が面白くてもだ。

ところが最終回が糞な漫画でも、
ある程度評価されるのだ。
この差だと思う。

「どう終わらせたらいいのか分からない」、
それは殆どの連載中の漫画家の叫びではないだろうか。

映画シナリオでは、
うまく落ちをつけられる奴が尊ばれる。
しかし漫画では、
うまくはじめて転がしのうまい奴が尊ばれる。
落ちなんて必要とされていない、と極論出来る。

映画とは落ちのことである。
漫画とは展開のことである。

(数学的に言えば、
映画は閉区間で、漫画は半開区間だ。
はじまり≦映画≦落ち、はじまり≦漫画
の違いだ)


だから、漫画に影響されている人ほど、
落ち前提の展開について、よくわかっていないのではないだろうか。
だから、途中で挫折するのではないか。
漫画の打ちきりのように、尻すぼみになるのではないか。

あくまでも直感だけど。


映画をたくさん観よう。漫画より数多く。
そうやって、落ちへ向かう展開や、
落ちへ向かう話のはじめかたについて、
漫画より影響を受けよう。
落ちのない漫画の毒を、抜こう。

(ここで言う漫画は、少年漫画を想定している。
比較的うまく最終回を迎える少女漫画には当てはまらない。かも)
posted by おおおかとしひこ at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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