映画はハッピーエンドがいい。
二時間付き合わされてバッドエンドは気分が悪い。
どうせなら、満足の行く「次の世界のあり方」を見て劇場を出たい。
それは、大団円のことだ。
登場人物全員が揃ってハッピーエンドになることを、
大団円という。
それはつまり、主人公のメインストーリーラインだけでなく、
サブストーリーラインも、全てハッピーエンドになったということだ。
誰も死なない、誰も不幸に終わらず、
全員が危険から生還し、
二度と変わることのない変化を経験し、
成長したことだ。
(悪役だけは死んでいい)
大団円を書くのは、実は一番実力がいる。
例えばドラマ風魔は、真の大団円を迎えていない。
霧風の心の傷は完治していないし、
劉鵬が黒獅子の死を知ったかどうか不明のままだ。
(小龍は兄とメッセージをかわせたから、一応クリアしたかな。
霧風や劉鵬のこの問題は、市野監督回で出されたもので、
そこまで回収しきる余裕が、僕になかったからだ。
麗羅のクリームブリュレ回収でいっぱいいっぱいだった)
真の大団円ならば、全員の問題が、
カタルシスをもって昇華する。
たとえば霧風は、かっこつけるのをやめて小次郎みたいに冗談を言うかも知れないし、
劉鵬は黒獅子の死を知り、語り継ぐ決意をするかも知れない。
(今気づいたのだが、風魔サイドが残り夜叉あと○忍、と数えられるってことは、
黒獅子の死をカウントしてるってことだよね?
どうやって知ったの?おかしくね?)
伏線回収をひとつずつやっていては、
すっとエンディングに入れない。
クライマックスが終わったらすぐにエンディングにいくのがよい。
余計な口上なしに、粋に終わるべきだ。
うまい大団円は、一気に全員がドーンで終われることだ。
だから、大団円は難しい。
主人公のメインストーリーラインのハッピーエンドと、
全員分のサブストーリーラインのハッピーエンドが、
同時に来なくてはいけないからだ。
勿論時間差があってもいいけど、
理想は「一緒にイク」ことである。
わざとらしい大団円、
ご都合主義の大団円、
強引な大団円、
押しつけがましい大団円なんかいらない。
自然にふっと終われる、
真の大団円を書こう。
2015年06月21日
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