俳句の書き方には二種類あります。
1. 5、7、5の17文字で書いて、季語を入れること。
2. あとは好きなものを好きなように詠め。
1はすぐ教えられ、マスターできますが、
2は一生かかるものです。
1を形式、2を内容ということにしましょう。
「脚本の書き方」も同じです。
脚本の形式をマスターするのは、
一日二日あれば可能です。
「シナリオのフォーマット」でこのブログを検索すれば出てきます。
5、7、5や季語に当たる、
柱、ト書き、台詞について詳しく書いてあります。
あとは先人のシナリオを調べて、
細かいところは真似すればOK。
作文と同じで、段落の最初をあけるとか、
句読点前で改行して句読点から次の行がはじまるなら、
句読点は前の行の最後にはみ出して書くとか、
原稿用紙の使い方みたいなもんです。
それを「脚本の書き方」と、狭義では言っていいでしょう。
あなたの中に既に脚本化可能なおはなしがあって、
あとは書けばいいだけで、
どう書いていいか分からない場合についてのみ、
あとは脚本の形式をマスターしさえすれば、
脚本は書けるでしょう。
「脚本の書き方」という場合、たいていこれを意味しません。
広義の場合、脚本の内容のつくりかたの方を意味します。
これは一朝一夕に出来ません。
何故なら、これは、「脚本を作る」ことではなく、
「脚本向けのお話を作る」ことを意味するからです。
正確に言えば、
あなたは、「とても面白いお話を作る」ことと、
「お話には脚本に向く話とそうでないものがある」ことを、
知り、それらをマスターする必要があります。
そして最終的には、
「脚本向けのとても面白いお話を作る」ことが出来るようになる必要があります。
あとは形式をマスターして書けばいいだけです。
俳句の形式をマスターするのは、2秒です。
(マスターかどうかは微妙だけど、理解は出来るでしょう)
しかし良い俳句を作り出すのは、
一朝一夕では上手くいきません。
それは本や教室で手取り足取り教えてくれると思いますか?
否ですよね。
四季の花鳥風月に触れることや、先人の古典を知ることのほうが、
座学よりよっぽど重要ですよね?
座学で学んだ理論よりも、
人生経験や、独特の見方が、俳句に出ることが、
よっぽど重要ですよね?
脚本も同じです。
「お話を作る」という行為は、
格別に難しい行為です。
前振りがあって、
展開があって、
落ちが必要です。
しかも、世の中の全ての面白いお話の中で、
脚本向けのお話は、部分集合です。
脚本向けのお話を作ることを、
あなたはマスターしなくては、
あなたは「脚本の書き方」をマスターしたことにはなりません。
僕が1700記事も書いて伝えていることは、
俳句教室の座学に過ぎません。
座学よりも、
古典の面白いお話を研究したり、
人生経験を積むことのほうが、
よっぽど大事なんです。
ケーススタディをたくさんたくさんやって、
それがお話ににじんで来るほうがいいのです。
「脚本の書き方」で検索して来る人が時々います。
形式をマスターするのは楽勝でしょう。
内容に関しては、座学に相当することはここを読めばよいです。
あとは、実践あるのみです。
いつ、脚本の書き方をマスターしたと言えるでしょう。
一本書けたとき?
ノー。それは俳句教室で一首書いたのと同じこと。
何本か書けたとき?
ノー。それは俳句教室で数首書いたのと同じこと。
俳句の書き方をマスターした、と言えるのは、
中々にいい俳句を、いつでもひねり出せるようになった時でしょう。
つまり、脚本の書き方をマスターしたというのは、
いついかなる時も、
中々にいい脚本を、いつでもひねり出せるようになった時です。
そんなことが座学だけで出来ると思ってることが、
既にものを知らなさすぎるということです。
実戦。実戦。実戦。
僕は、5分のお話をたくさん作ることを推奨しています。
まずは作劇そのものに慣れて、数をこなすこと。
理論と実戦は両輪です。
名作をたくさんたくさん見てください。
脚本家を志すのに、
昔の名作を見てないのは意味が分かりません。
「オールタイムベスト」で僕の選んだ名作があります。
全部見なくていいけど、こういう名作を見て、
自分がこれを書くというリアリティーで、研究すべきです。
先はとても長いです。
脚本の書き方は、一朝一夕にはマスター出来ませんよ。
あ、形式をマスターするのはとても簡単です。
2015年06月22日
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