一気書きをせずに飛び飛びで書いたり、
直しをしまくったものは、
大抵良くない。
それは、継ぎはぎだからだ。
なんの継ぎはぎか。
「別々の考え方の」継ぎはぎなのである。
ある場面がいいと思って書いた。
別の時、また別の場面がいいと思ってそれを足した。
継ぎはぎというのは、
それらが矛盾する考え方で、別々の基準でいいと思われて接続されているということだ。
それらがひとつの基準で、いいと思われて接続されていることが、
当然の前提なのに、
シーンが変わると作者が変わってしまったように、
別々の基準で統合されている。
これは、一人で書くときも複数で書くときも、
よく起こることである。
特に、書かない人と書く人が共同で進める場合、
ぶっちゃければ複数の素人が一人に別々の文句を言って改訂しまくる場合、
よく起こることである。
ひとつの考え方で、全部を通すようにせよ。
それは、テーマが最後に暗示されるように、
前提から、冒頭から計算され尽くされ、
全く無駄がなく、
途中のディテールも、その逆算で並べられているような、
ひとつの「企み」の元に最適化された、
ストーリーのことである。
一気に書かないとき、
複数で書くとき、
その企みがバラバラになりやすい。
または、一つの企みが弱いから、別の企みで補強しようとする。
(半ば無意識に)
それがよくない。
たった一つの強い企みで、全てが最適化されたように、
見事に整理されて練られていることが、
理想である。
ぶっちゃけ、複数の人がやりあうと、
その「強い一つの企み」に合意するまでに、
最後までかかることになる。
多くのCMやドラマや、映画ですらそうだ。
だから継ぎはぎだらけの、詰まらないものになるのだ。
(「いけちゃんとぼく」は、特に前半部にその傷痕が大きい。
「風魔の小次郎」は、殆ど分からないほど上手く行った例)
特に日本人は議論が下手だ。
皆の予想を越えた強い一つの企みに判子を押せず、
誰もの意見を尊重して、
誰もの意見をも反映させた、
玉虫色の、
最大公約数の意見に決定しがちだ。
それは、たった一つの企みではなく、
それより弱い、バラバラの集合体にしかならない。
今、CMもテレビもドラマも映画も、
詰まらないものだらけなのは、これが原因だ。
飛び抜けた一つの企みは、どこかで潰されるのだ。
僕は、全員の思っていることさえ明らかになれば、
それらを統合して超越した、
一つの企みを出す自信があるのだが、
残念ながらそれが明らかになるのは、
編集改訂が出るあたりである。もう手遅れなのだ。
だから編集がよれて、めためたになっていく。
(バカほど、ここで新しく方針が変わったと思って、
一から考えようとかほざく。もうアホかと)
そういうときは、今目の前にあることを、
一度全部捨てる勇気を持とう。
ある一つの強い企みで、
参加者の思いを昇華することを考えつこう。
それが出来れば理想だ、ということを考えつこう。
今あるものが殆ど使えなくてもだ。
そこから、使えるものと使えないものを腑分けし、
ないものをつくればいい。
使えるものだって、本来そのように使われるように作られていないことが殆どだ。
それを、ある一つの企み基準で使い直すしかない。
痛みを伴うことを、全員が共有すべきだ。
この痛みを二度と起こさないために、
全員が次回は思いを先に述べることを学ぶべきだ。
それがないから、いまだに継ぎはぎだらけの失敗作ばかり、
作られ続けている。
さて、
似たようなことが、
実はあなたの中だけでも起こっている。
人間の集中力は、そう長くもたない。
二時間もつ?
もたないよね?
ということは、二時間後のあなたは、
既に別のことを考えている可能性が強い。
だから、あなたの作るものはバラバラの継ぎはぎになるのだ。
一つの企みに貫かれていないのだ。
それを一つの企みで貫こうとしても、
バラバラの考えの集積になってしまっているのである。
リライトをするにしても、
場面場面の直しを、別々のアイデアでやってしまうから、
リライトすればするほど、継ぎはぎが増えていくのである。
リライトして話がややこしくなるのだとしたら、
それはリライトの失敗だ。
良くするためのリライトが、悪くなる一方だからだ。
それはリライトが下手なのだ。
下手なリライトとは、一つの企みで全体を貫くように出来ないことを言う。
具体的には部分の直しばかりで、
全体のバランスがバラバラになっている。
物凄く強い、一つの企みで、
全体が貫かれ、最適化されていること。
「作品」とは、そのような単位のことを言う。
下手なやつの、詰まらないやつたちの作るものは、
作品でもなんでもなく、キメラであり、
互いの権力が渦巻いて最適化に失敗した、公共工事である。
たとえば、東海道新幹線の岐阜羽島は、
存在する合理的な理由がない。政治家が地元利益誘導の為に建てた駅だ。
今で言うごり押しである。
あなたは、一人でやるときも、複数でやるときも、
そのようなものを作るべきではない。
2015年06月23日
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