2015年06月24日

一言で示すこと

これが簡単に出来たら楽なもんだ。
それが難しいから、ストーリーは難しい。


たとえば傑作ドラマ「風魔の小次郎」を、
どう一言で表現すればいい?

全部を盛り込めない。一言でだ。
その一言が全部を表せなくていい。
小次郎のこと、姫子のこと、竜魔のこと、蘭子のこと、
壬生のこと、武蔵のこと、霧風や劉鵬や羽兄弟や麗羅や、
八将軍や絵里奈やその他の人たちのこと。
その全部がその一言に出なくてもいい。

それは、全部を言うのではなく、
本質をとらえた一言にするのである。
象とは何かを言うのに、
耳が大きいとか牙とか皮膚が固いとか言わずに、
「巨大な鼻の長い生き物」とアイデンティティーを与えるようなものだ。


「忍びとは何かを分からない未熟な男が、
忍び同士の戦いを通じて、
忍びとも人間ともなれる立派な男へ成長する話」。


壬生の壬の字もないけれど、
忍び同士のCGバトルもないけれど、
絆もラブコメもご飯シーンもないけれど、
これは一言で風魔を表現していると思う。


これと、「未見の人用の一言で示したもの」は、違う。
それは面白そうだという引きを並べたり、
大体こういう感じか、と大まかに把握したりすることが目的だ。

たとえば「学園忍者アクション」とついたジャンル名はそれだろうし、
殺陣や必殺技CGがなかなかいい、というのもその一つだし、
若者たちの群像劇、というのもその一つだし、
イケメンショウとか車田ロマンという外枠もその一つだ。
(そしてこれらの未見の人用の一言のほうが企画書で使われやすく、
それは予告や宣伝に使われがちだ。
これが本質を表してなく、ガワを嘗めたものに過ぎないため、
これ始動だと内容が薄くなることについては再三書いている)


一言で書くことは、このように「用途に分けて」書かなければならない。
しかも、それぞれの文脈で的確に書かなければならない。

他人のものならまだ客観性があるから簡単かも知れない。
あなたは、他の作品の、
ストーリーの本質を一言で書いてみたり、
未見の人用の一言で書いてみたりすると練習になるかも知れない。
それが的確かどうかは、
その作品をよく知る人に相談してみるといいかも知れない。
(僕でもいいですよ)

問題は自分の作品だ。
なかなか一言におさめるのは難しいのだ。

しかし、他の作品でやったように出来るのがベストであることは、
変わりない。


僕は、そういう短い一言を、ことあるごとに書く。
自分で自分のやっていることを客観的にするためだ。
それが本当に面白いのか、引いて見るためだ。

ストーリーを引いた目で見ることはとても難しい。

それは一言で言うと、こういうことだ。
それを未見の人に一言で言うと、こういうことだ。

この二種類を意図的に使い分け、
どちらも的確に書けるとよいだろう。


ちなみにサイトでは既に更新したけど、
「てんぐ探偵」の後者はこのように書いてみた。


 人知れず、心の闇とバトルする探偵がいる。

 人の心が醜く歪むのは、現代の妖怪「心の闇」たちのせいである。
 天狗の火の剣をもつ少年シンイチは、「壊れた心を治す」ために、
今日も心の闇と取っ組みあう。誰が呼んだか「てんぐ探偵」。


なかなか面白そうに書けたのではないかな。
posted by おおおかとしひこ at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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