2015年06月27日

作家のテーマ

という場合、作者が書こうとした本質のことを指すことが多い。
彼は生涯父と子の確執をテーマとした、などのように。

大岡式には、これはモチーフと言うべきなのは、
これまで読んでいる人には了解できると思う。



作家の生涯のテーマとは、
つまり、「自分でも良く分かっていないことを、
生涯書くことで理解しようとする」ことを言っていると思う。

従って、その作家のテーマが父と子の確執だとしたら、
個々の作品のテーマは、
「子供は父を裏切る」とか、
「父と子の憎み合いは格別である」とか、
「父は追い越されるのが怖いのだ」などになると思う。

これらがモヤモヤとした核心にある何かを、
正体は不明だけど、
書くことで白日の元にさらそうとしているのが、
作家という生き物ではないだろうか。

作品のテーマは、つまりその作家の抱えるテーマの部分集合なのだ。
作家の抱えるモヤモヤ、テーマを、
作品に具現化するとき、
大抵似たようなモチーフやテーマをもってきがちなだけなのだ。


僕は「てんぐ探偵」という連作長編小説を書いているが、
その作家的テーマ(題材)は「心の闇」である。
奥深い題材であるから、
ここからいくらでも個々のモチーフとテーマは導き出せる。
それを面白おかしく書いている。

てんぐ探偵でも、心の闇はあくまで毎度のモチーフであり、
個々のテーマは、
「完璧はまだない」(妖怪完璧主義)、
「自分の心配よりも他人の心配をしたときに見せる本心」(妖怪ほめて育てて)
などを書いている。
しかし全体は心の闇「のあれこれ」である。

「のあれこれ」が省略されて、
この長編小説のテーマは「心の闇」と一括されて言われてしまうのである。

大岡式的にはこれはモチーフに共通する具体物だ、
ぐらいに理解しておくと、
この作品のテーマは何だろう、
この作家の抱えるテーマは何だろう、
と考える際に、間違いがないのではないだろうか。


例えば広瀬香美は、ずっと「冬って素晴らしい」を生涯のテーマとした。
(かどうかは分からないが)
例えば西野カナは、「会いたくて震える」を生涯のテーマとした。
(かどうかは分からないが)

大岡が心の闇をずっとテーマとするかどうかも分からないが、
ひとつには言われるかもね。
風魔時代から共通するテーマは、「暖かい風」かも知れないけれど。
小次郎もシンイチも、人々に暖かい風を届ける使者だ。



さて、あなたは作家的には何をテーマ
(名詞で示せるものにまつわるあれこれ)としているのだろう。
あるひとつの作品にするとき、
そのモチーフ(名詞で示せる)を何に選び、
それでどんなテーマ(PはQである、というテーゼ形式で示せる)
を現そうとしているのだろう。

これらは似たような概念だけど、
まるで違うものを指している。
厳密に使い分けられるといいだろう。
posted by おおおかとしひこ at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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