という場合、作者が書こうとした本質のことを指すことが多い。
彼は生涯父と子の確執をテーマとした、などのように。
大岡式には、これはモチーフと言うべきなのは、
これまで読んでいる人には了解できると思う。
作家の生涯のテーマとは、
つまり、「自分でも良く分かっていないことを、
生涯書くことで理解しようとする」ことを言っていると思う。
従って、その作家のテーマが父と子の確執だとしたら、
個々の作品のテーマは、
「子供は父を裏切る」とか、
「父と子の憎み合いは格別である」とか、
「父は追い越されるのが怖いのだ」などになると思う。
これらがモヤモヤとした核心にある何かを、
正体は不明だけど、
書くことで白日の元にさらそうとしているのが、
作家という生き物ではないだろうか。
作品のテーマは、つまりその作家の抱えるテーマの部分集合なのだ。
作家の抱えるモヤモヤ、テーマを、
作品に具現化するとき、
大抵似たようなモチーフやテーマをもってきがちなだけなのだ。
僕は「てんぐ探偵」という連作長編小説を書いているが、
その作家的テーマ(題材)は「心の闇」である。
奥深い題材であるから、
ここからいくらでも個々のモチーフとテーマは導き出せる。
それを面白おかしく書いている。
てんぐ探偵でも、心の闇はあくまで毎度のモチーフであり、
個々のテーマは、
「完璧はまだない」(妖怪完璧主義)、
「自分の心配よりも他人の心配をしたときに見せる本心」(妖怪ほめて育てて)
などを書いている。
しかし全体は心の闇「のあれこれ」である。
「のあれこれ」が省略されて、
この長編小説のテーマは「心の闇」と一括されて言われてしまうのである。
大岡式的にはこれはモチーフに共通する具体物だ、
ぐらいに理解しておくと、
この作品のテーマは何だろう、
この作家の抱えるテーマは何だろう、
と考える際に、間違いがないのではないだろうか。
例えば広瀬香美は、ずっと「冬って素晴らしい」を生涯のテーマとした。
(かどうかは分からないが)
例えば西野カナは、「会いたくて震える」を生涯のテーマとした。
(かどうかは分からないが)
大岡が心の闇をずっとテーマとするかどうかも分からないが、
ひとつには言われるかもね。
風魔時代から共通するテーマは、「暖かい風」かも知れないけれど。
小次郎もシンイチも、人々に暖かい風を届ける使者だ。
さて、あなたは作家的には何をテーマ
(名詞で示せるものにまつわるあれこれ)としているのだろう。
あるひとつの作品にするとき、
そのモチーフ(名詞で示せる)を何に選び、
それでどんなテーマ(PはQである、というテーゼ形式で示せる)
を現そうとしているのだろう。
これらは似たような概念だけど、
まるで違うものを指している。
厳密に使い分けられるといいだろう。
2015年06月27日
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