2015年06月27日

終わらせたくない思い

書く行為も後半になってくると、
世界に慣れ親しんだので、
終わらせるの嫌だなあと思う心理がやってくる。


風魔のときは、10話終わった辺りにそう思った。
こいつらと永遠に生きていたいと思った。

しかし、センタークエスチョンを思い出すのだ。
全ての登場人物は、目的を果たすためにここにいる。
その人物が無念を抱えることなく、
無事に成仏させてあげなければならない。

全てのヤマを書き終えるまで、あなたは死んではいけない。
冒険の意味が明らかになるのは、
あなたの中だけでなく、
それを受けとる全ての人の中であるべきだ。


小次郎は武蔵と闘わなければならなかった。
壬生は小次郎と闘わなければならなかった。

クライマックスを前に、人はびびる。
マリッジブルーに似ているのかも知れない。
私が確定してしまう恐怖、とでも言おうか。

受験が待ってると分かってる高三になる前の、
すべてが自由だったあの放課後を手放したくない気持ち。
文化祭当日ではなく、
文化祭の準備を永遠にやっていたい気持ち。
(うる星やつら2ビューティフルドリーマー)


いよいよ本番がやってきたのだ、
と武者震いするべきだ。

マックス冒険の危険を釣り上げて、
最も起伏を大きくつくるのだ。
最後の冒険の旅へ出る。
結末はすでに知っているかもしれないが、
そこに至る道筋は誰もしらない。
そうやって、第三幕を準備し、
飛び込もう。

決着をつけるときが来た。
風魔の最終回予告はこうやって始めた記憶がある。

そう思って、旅の総決算をするのである。
家に帰るまでが冒険だ。
家、つまり、安心するところへ帰ることを、
クライマックスの直前に人は意識する。
この冒険をどうやって終えようか意識する。

さあ最後の花火を打ち上げよう。
第三幕はたとえるなら高三の一年間だ。
笑って泣いて、思い切り最後まで駆け抜けよう。
ぐずぐずしてるなんて、準備をしている登場人物に失礼だぜ。



てんぐ探偵、最後の二集に取りかかりました。
こんな気持ちで闘っております。
(第二ターニングポイントは、50話の予定)

何のために出てきたのか。
満足して引っ込むためだ。
posted by おおおかとしひこ at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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