書く行為も後半になってくると、
世界に慣れ親しんだので、
終わらせるの嫌だなあと思う心理がやってくる。
風魔のときは、10話終わった辺りにそう思った。
こいつらと永遠に生きていたいと思った。
しかし、センタークエスチョンを思い出すのだ。
全ての登場人物は、目的を果たすためにここにいる。
その人物が無念を抱えることなく、
無事に成仏させてあげなければならない。
全てのヤマを書き終えるまで、あなたは死んではいけない。
冒険の意味が明らかになるのは、
あなたの中だけでなく、
それを受けとる全ての人の中であるべきだ。
小次郎は武蔵と闘わなければならなかった。
壬生は小次郎と闘わなければならなかった。
クライマックスを前に、人はびびる。
マリッジブルーに似ているのかも知れない。
私が確定してしまう恐怖、とでも言おうか。
受験が待ってると分かってる高三になる前の、
すべてが自由だったあの放課後を手放したくない気持ち。
文化祭当日ではなく、
文化祭の準備を永遠にやっていたい気持ち。
(うる星やつら2ビューティフルドリーマー)
いよいよ本番がやってきたのだ、
と武者震いするべきだ。
マックス冒険の危険を釣り上げて、
最も起伏を大きくつくるのだ。
最後の冒険の旅へ出る。
結末はすでに知っているかもしれないが、
そこに至る道筋は誰もしらない。
そうやって、第三幕を準備し、
飛び込もう。
決着をつけるときが来た。
風魔の最終回予告はこうやって始めた記憶がある。
そう思って、旅の総決算をするのである。
家に帰るまでが冒険だ。
家、つまり、安心するところへ帰ることを、
クライマックスの直前に人は意識する。
この冒険をどうやって終えようか意識する。
さあ最後の花火を打ち上げよう。
第三幕はたとえるなら高三の一年間だ。
笑って泣いて、思い切り最後まで駆け抜けよう。
ぐずぐずしてるなんて、準備をしている登場人物に失礼だぜ。
てんぐ探偵、最後の二集に取りかかりました。
こんな気持ちで闘っております。
(第二ターニングポイントは、50話の予定)
何のために出てきたのか。
満足して引っ込むためだ。
2015年06月27日
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