2015年06月28日

人工知能に描かせた絵は、何故気持ち悪いのか

グーグルが開発した、人工知能が描いた絵を見た。
統合失調症の人の絵に酷似している。
アウトサイダーアートにも似ている。
両者の相似点はなんだろう。


「余白がないこと」だ。

どのような気持ちで描かれたのか分からない所も、
両者の気持ち悪さに共通する。

空とか広いなにかとか、
絵には普通余白がある。

「広いどこかの場所に、我々がいる」という感覚が、
アプリオリにあるからだと思う。
広い空や草原や空間が気持ちよかったり、
その空間に自分の気持ちを託したりするものだ。

その、今ある空間に生きている、
という感覚が、
絵を描く人工知能にも、統合失調症の人にも、
ないのではないかと感じた。


翻って、ストーリーである。
ごちゃごちゃ詰め込みすぎてやしないかい?

想像の余地を残してるかい?

良く分からない曖昧な所をわざと残せ、
ということを意味しない。

全て解決し終わったあとでも、
何もかも明らかになったあとでも、
想像の余白をきちんと取ってるかということだ。


たとえぎちぎちに詰め込んだ物語でも、
ラストシーン後、その後を想像する余地があるといい。

100の枠に100を埋めるのはバカだ。
80ぐらいにして、20を余白にし、
相手に想像の余裕をあげるといい。
想像力がある人ほど、20を70ぐらいまで増幅して、
150ぐらいのものに見てくれるだろう。

芸術はレポートではない。
余白のないものは、深みがない。
深みとは、我々の想像する余地のことだ。


人工知能の描く絵と、統合失調症の人の絵には、
同じ特徴がある。
想像する余白の欠落だ。

ああいう絵みたいな、
隙あらば何かのディテールでぎちぎちに埋める、
強迫神経症のような絵ではない、
ヌケのある絵のような、
想像の余白のある物語を書こう。
posted by おおおかとしひこ at 01:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック