グーグルが開発した、人工知能が描いた絵を見た。
統合失調症の人の絵に酷似している。
アウトサイダーアートにも似ている。
両者の相似点はなんだろう。
「余白がないこと」だ。
どのような気持ちで描かれたのか分からない所も、
両者の気持ち悪さに共通する。
空とか広いなにかとか、
絵には普通余白がある。
「広いどこかの場所に、我々がいる」という感覚が、
アプリオリにあるからだと思う。
広い空や草原や空間が気持ちよかったり、
その空間に自分の気持ちを託したりするものだ。
その、今ある空間に生きている、
という感覚が、
絵を描く人工知能にも、統合失調症の人にも、
ないのではないかと感じた。
翻って、ストーリーである。
ごちゃごちゃ詰め込みすぎてやしないかい?
想像の余地を残してるかい?
良く分からない曖昧な所をわざと残せ、
ということを意味しない。
全て解決し終わったあとでも、
何もかも明らかになったあとでも、
想像の余白をきちんと取ってるかということだ。
たとえぎちぎちに詰め込んだ物語でも、
ラストシーン後、その後を想像する余地があるといい。
100の枠に100を埋めるのはバカだ。
80ぐらいにして、20を余白にし、
相手に想像の余裕をあげるといい。
想像力がある人ほど、20を70ぐらいまで増幅して、
150ぐらいのものに見てくれるだろう。
芸術はレポートではない。
余白のないものは、深みがない。
深みとは、我々の想像する余地のことだ。
人工知能の描く絵と、統合失調症の人の絵には、
同じ特徴がある。
想像する余白の欠落だ。
ああいう絵みたいな、
隙あらば何かのディテールでぎちぎちに埋める、
強迫神経症のような絵ではない、
ヌケのある絵のような、
想像の余白のある物語を書こう。
2015年06月28日
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