目的と行動と結果を、一連にしたもの。
主人公を中心に、脇の登場人物についても書く。
それらが矛盾なく、作品上の時系列として一直線に並んだもの。
主人公や登場人物の、
性格描写や、台詞や、好きになるエピソードや、
感情移入に足るエピソードは、
厳密にはプロットには不要だ。
それぞれの目的、動機がわかればいい。
どうしてその行動に出るかは、
性格成分よりも、目的や動機で納得させるべきである。
たとえば「ロッキー」では、
アポロがどんな性格であったとしても、
「あだ名がインパクトあるからロッキーを対戦相手に選ぶ」
というプロットは不変である。
そのプロットを実行するのに、ちょっとお調子者の性格を選んだだけだ。
お調子者だからそういう行動を取ったのではない。
(あくまでこれは作者の中であり、
劇中ではアポロの性格でそうしたように見えている。
しかも「アメリカンドリームマッチ」という大義名分を思いつく頭の回転も見せ、
虚栄心も見せる)
アポロの目的は「対戦相手が欲しいこと」であり、
「その選定に理由が欲しいこと」だ。
出来ればマスコミが受けるものがいい。
さらには、「今さら試合を中止できない事情」も抱えている。
たまたま、あだ名の面白いやつがいたら、
どんな性格であっても目に留まり、
この人でなんとかならないかを考えるだろう。
プロット上は、
アポロの事情と目的があり、
その結果ロッキーにオファーする、という行動があればそれで必要十分だ。
たとえば世界観はプロットには不要だ。
こういう世界だからこそ、こうなる、というのは、
プロット上はそこが初出で構わない。
実際には唐突だから伏線を引くべきだが、
プロット上は、そこでその特別なカードを使う、
ということが分かればいい。
そこが不自然にならないように、逆算して序盤を構築しなおせばいいだけだ。
つまり、
プロットとは、厳密にはとても理屈的だ。
誰が、どういう事情や目的でどんなことをし、
その結果どうなり、さらに誰が…という連鎖を書けば、
それで最低限のプロットの完成なのである。
それは棋譜に似ているかも知れない。
棋譜は(実際には動機や目的は明記されないが)行動のリストだ。
棋士は棋譜を見れば、動機や目的を読み取れるだろうけど、
我々物語の読み手も、状況と行動が分かれば動機が読み取れるものだ。
ただ、明記した方が、
書き手の整理としてのプロットになるだろう。
なぜこれをして、どうなり、次になぜこれをして、どうなり、
それに対して何をなぜして、こうなり…
を延々と書き連ねることで、
僕の言う、因果関係の糸がちゃんと繋がっているかどうか確認しやすくなる。
「なぜここでこうするのか分からない」という頻繁にある退屈は、
この段階で詰め切れていないから起こる、脚本上の事故である。
これは、
この段階ならオカシイかどうかチェックしやすいのだが、
執筆段階やリライト段階だと、当初のものから変更しまくっているため、
この動機はどこいったんだっけ、とか、
これに対してこう思うのは変じゃね?
などが発生しがちだ。
つまり、プロットに矛盾をきたしているのだが、
それに気づけないミスを犯してしまうのだ。
そういうことにのちのち気づけるようになるためにも、
この表は最初にちゃんと作っておくといいだろう。
さて、実際のプロットは、これにいわば上物を足していく。
(皆さんの好きな)世界観とか、キャラとかをだ。
単なる理屈レポートでは面白くないから、
物語特有の感情の部分で訴えるのである。
しかしこれはプロットにとっては本来邪魔なものなのだ。
理屈だけの骨格部分のみを骨格プロット、
感情やおかずで肉付けしたプロットを肉付けプロットと呼んでもいいくらいだ。
(そして、専門家だけの打ち合わせでは、骨格だけのほうがやりやすい。
しかし骨格だけでストーリーを判断できるプロデューサーが減ったので、
肉付けをしなければ読んでくれなかったりする。
だから、骨格は自分用、肉付けは他人と打ち合わせする用と使い分けるのがいいだろう)
また、ある行動をするとプロットに書かれていても、
実際にシナリオに書かれる場面は、
更に発展形になっている可能性もある。
また「ロッキー」を例に出すと、
「ロッキーがアポロとの試合のオファーを受ける」
というプロットは、実際にはどう書かれているか。
ちょっと考えれば、いくつもの選択肢があり得る。
・ロッキー本人に電話がかかってくるか、事務所にかかってくる。
・アポロがマスコミを連れてロッキーの事務所にアポなしで訪れ、
断れない状況を作ってロッキーにオファーする。
・最初は丁重に断るが、エイドリアンを侮辱されることでロッキーは試合を受ける。
などなど。
しかし実際の場面はこうだ。電話も何も描かれない。
・立派な事務所の入り口にロッキーがやってくる。
一張羅を着てきたがまだみすぼらしい。くしゃくしゃにした名刺を持っている。
・ふかふかのソファーに座らされ、トレーナー(マネージャー?)
と話す。最初はスパーリングパートナーを受けたつもりだったが、
それはロッキーサイドの勘違いで、試合のオファーだったのだ。
何でもやるさとロッキーは深く考えず安易に受ける。
金が欲しかったからだ。
名誉とか、自分を証明するとかではなく、
ただの金欲しさなのだ。
このあと安易な決断だったと後悔するドラマがメインなので、
人生の一大事になるはずの「オファーを受ける」は、
意外にも、実にあっさりと進んでいる。
恐らくこのパートは、何度もリライトされたバージョンがあると思われる。
「ロッキー」という物語は、
ボクシングよりも、一人の男の内面を描いた映画である。
だから、ボクシングのことよりも、人間ドラマに深く尺を割いている。
もっと派手なバージョンもあっただろう。
(実際、ロッキー2、3では派手な試合の受け方をしている)
しかし、その後の人間ドラマに焦点を当てるために、
ここは「金欲しさ」という実に人間臭い、安直な理由で受けるにとどまるのだ。
全体のことを考えた、プロットの実際の実現だ。
プロットには、
目的や動機、
行動、
結果が必要だ。
この場面では、
アポロサイド:試合のリザーバーが欲しいので、無名の面白い名前だけの奴を、
「アメリカンドリームマッチ」という美名で相手に指名したい
ロッキーサイド:憧れの選手のためならなんでもやる、それに金が欲しい
という両者の利害が一致して、
「世紀の試合の合意」という行動へすすむ。
結果は、マスコミの大騒ぎで、それは次以降に描かれる。
実際のプロットには、
貧乏ロッキーのひがみ根性や、
アポロサイドの貧乏人を馬鹿にしないように丁寧な態度をとるなどの、
実際の原稿では重要な要素が書かれていたかどうかは不明だ。
恐らく書かれていないだろう。
プロットでまず重要なのは、
目的、行動、結果だからだ。
だから、実際のプロットは、
実際の原稿から見ればずいぶん痩せて見える。
重要な理屈だけの、味気ないものに見える。
それでいい。
矛盾しないかどうか、一本のストーリーとして、
繋がっているかどうかを見るためのものだからだ。
プロットでこの映画がいけるかどうか判断出来るのは、
だから設計図を見てこの建物はまともかどうか判断できる建築家のような、
特殊な技能が必要だ。
それがプロというべきなのだが、
昨今ほんもののプロが減っていることは、
ツマラナイものが増えている上がりから見て想像できることだろう。
プロットとは、理屈だ。
動機、目的、理由。
行動。
結果。
その連鎖リストである。
一次元につながっていることが大事だ。
何故なら、アウトプットは一次元形だからである。
どんな面白い話でも、一次元につながっていなくては、
面白いプロットになったとはいえない。
2015年06月29日
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