2015年06月30日

美男美女じゃなくても

それは面白い話だろうか?


美男美女の話を考えてニヤニヤしているのだとしたら、
(たとえば不細工男が美女ハーレム、
不細工女がイケメンハーレム、
あるいは美少女たちが集団でわらわらしていたり、
イケメンたちが集団でがつがつしていたり)、
それはストーリーテラーとして半人前だ。

最終的に美男美女の話を書くとしても、
あなたは、
それがたとえ不細工な男と不細工な女だとしても、
話が面白くなるようにしなければならない。
(不細工ならではの話にする必要はない)

たとえ不細工な男だとしても、
たとえ不細工な女だとしても、
話がなんら遜色なく面白くあるように、
話が作られていなければならない。


美男美女は七難隠す。
つまり誤魔化せる。
誤魔化されないような、面白い話を書くべきだ。

例えばドラマ風魔。
小次郎と姫子の話は不細工な男女だとしても、
美しい話である。
蘭子さんと竜魔の話は、美男美女にやや頼っている。
壬生はたとえ不細工だとしても、
彼の話は面白くなっただろう。
霧風は、美男ならではの話になっている。
項羽小龍は不細工双子では成立しないだろう。

小次郎と麗羅は不細工同士でも成り立っている。
(麗羅の言葉遣いは不細工メンなら腹が立つだろうが)
小次郎と劉鵬も、不細工同士でも成り立っている。
(元々原作通りにするならば、劉鵬は不細工でも良かった。
しかし劉鵬は心がイケメンだという解釈で臨んだため、
不細工な男だとしても、傑作になるように計画されていたのだ。
一方黒獅子はイケメンでないと成立しないだろう)
9話の将棋のライバル話は、イケメンでなくとも話が成り立つ。



つまり、ストーリーは、
美男美女に頼る話と、そこと独立して存在する話がある。

あなたは、どちらも書けなければならない。

どちらかに偏っていては、片手落ちになる。
どちらかと言えば、
美男美女でなくても面白い話を書くべきだ。
不細工な男が、不細工な女が、
人生と格闘の末見せる美しさを、描くべきだ。
それを美男美女が演じるから、
最高に美しいものが出来上がるのである。


小説「てんぐ探偵」の50話以上のエピソードは、
美男美女でなくても面白い話を書いているつもりだ。
(意図的に不細工の話をのぞいては)

殆どの人の人生は、美男美女の人生ではない。
だから美男美女の人生を描いてもしょうがない。

一方、美男美女だけの話を見ていたい願望も人にはある。
殆どの人の人生は、美男美女の人生ではないからだ。


あなたは、どちらも書けるようになるべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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