それは面白い話だろうか?
美男美女の話を考えてニヤニヤしているのだとしたら、
(たとえば不細工男が美女ハーレム、
不細工女がイケメンハーレム、
あるいは美少女たちが集団でわらわらしていたり、
イケメンたちが集団でがつがつしていたり)、
それはストーリーテラーとして半人前だ。
最終的に美男美女の話を書くとしても、
あなたは、
それがたとえ不細工な男と不細工な女だとしても、
話が面白くなるようにしなければならない。
(不細工ならではの話にする必要はない)
たとえ不細工な男だとしても、
たとえ不細工な女だとしても、
話がなんら遜色なく面白くあるように、
話が作られていなければならない。
美男美女は七難隠す。
つまり誤魔化せる。
誤魔化されないような、面白い話を書くべきだ。
例えばドラマ風魔。
小次郎と姫子の話は不細工な男女だとしても、
美しい話である。
蘭子さんと竜魔の話は、美男美女にやや頼っている。
壬生はたとえ不細工だとしても、
彼の話は面白くなっただろう。
霧風は、美男ならではの話になっている。
項羽小龍は不細工双子では成立しないだろう。
小次郎と麗羅は不細工同士でも成り立っている。
(麗羅の言葉遣いは不細工メンなら腹が立つだろうが)
小次郎と劉鵬も、不細工同士でも成り立っている。
(元々原作通りにするならば、劉鵬は不細工でも良かった。
しかし劉鵬は心がイケメンだという解釈で臨んだため、
不細工な男だとしても、傑作になるように計画されていたのだ。
一方黒獅子はイケメンでないと成立しないだろう)
9話の将棋のライバル話は、イケメンでなくとも話が成り立つ。
つまり、ストーリーは、
美男美女に頼る話と、そこと独立して存在する話がある。
あなたは、どちらも書けなければならない。
どちらかに偏っていては、片手落ちになる。
どちらかと言えば、
美男美女でなくても面白い話を書くべきだ。
不細工な男が、不細工な女が、
人生と格闘の末見せる美しさを、描くべきだ。
それを美男美女が演じるから、
最高に美しいものが出来上がるのである。
小説「てんぐ探偵」の50話以上のエピソードは、
美男美女でなくても面白い話を書いているつもりだ。
(意図的に不細工の話をのぞいては)
殆どの人の人生は、美男美女の人生ではない。
だから美男美女の人生を描いてもしょうがない。
一方、美男美女だけの話を見ていたい願望も人にはある。
殆どの人の人生は、美男美女の人生ではないからだ。
あなたは、どちらも書けるようになるべきだ。
2015年06月30日
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