2015年06月30日

美男美女じゃなくても3

自分の例を書いておく。
「自主映画出身の監督は、
何故原田知世、麻生久美子、深津絵里が異常に好きなのか?」
という問いを15年ぐらい前に立てたことがある。


答えは、「女女してない、少年性を有しているから」だと思う。

もっと正確に言うと、
「おっぱいが大きくなって、生理が来たりする前の、
第二次性徴前の、女側へいく前の少女」
という願望を、彼女らに投影しやすいからだ。

僕ら男は、大人の女が怖い。
僕らが少年だったとき、少女たちがいた。
しかし彼女たちは勝手におっぱいが大きくなって、
僕らの隣からいなくなって、どこかへ行ってしまった。
女になってしまったのだ。
女はめんどくさい。
なんかよく分からないルールがある。
もっとシンプルな、少女といたいだけなのに。

僕らは大人になると、女とのつきあいかたも、
そのルールも、多少は分かってくる。
だけどぶっちゃけめんどくさい。
少年の頃のような、少女が隣にいる感じが最高なのに。
(その気持ちを上手く描いたのが、
「マイライフアズアドッグ」という傑作だ)


原田知世、麻生久美子、深津絵里は、
女の部分が希薄(に見える)な女優だ。
だから、
我々の中の未熟な少年が、女に分化する前の少女を、
彼女たちに求めるのだと思う。

自主映画野郎なんて、劣等感の塊だ。
だから、まだ大人の男に分化してなくて、
かといってロリコンにも堂々といけなくて、
中途半端な思いだけが、彼女たちに無意識を投影するのである。


昨今のショートカットブームは、
同じ匂いを感じる。
広瀬すずに、我々は女に分化する前の少女を夢見た。
しかし、こいつも女の嫌な部分を持ってたのだ、
とばれてしまい、幻滅の手のひら返しが猛烈に起こっている。
本田翼も、芝居が下手で熱愛もあって幻滅。
能年玲奈も、奇行で幻滅。
宮崎あおいの凋落も、浮気という女の嫌な部分だった。

少女の一番いいところを彼女たちに投影しているところに、
僕はちょっと男の病的ななにかを感じるのである。

(イケメン俳優沼はその女版だと思っているのだが、
ちょっと深すぎて、安易な分析はやめておく)

その意味でビッチAKBのファンはすげえよ。
八百長を理解できるプロレスファン並の知性だぜ。
180度のねじれが自虐的にあるのかも知れないけれど。
(耽美系Vバンドのバンギャみたいなもんか。いや、軽率な分析はやめておく)


このへんの闇がもっとうまく掴めたら、
てんぐ探偵に書くかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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