自分の例を書いておく。
「自主映画出身の監督は、
何故原田知世、麻生久美子、深津絵里が異常に好きなのか?」
という問いを15年ぐらい前に立てたことがある。
答えは、「女女してない、少年性を有しているから」だと思う。
もっと正確に言うと、
「おっぱいが大きくなって、生理が来たりする前の、
第二次性徴前の、女側へいく前の少女」
という願望を、彼女らに投影しやすいからだ。
僕ら男は、大人の女が怖い。
僕らが少年だったとき、少女たちがいた。
しかし彼女たちは勝手におっぱいが大きくなって、
僕らの隣からいなくなって、どこかへ行ってしまった。
女になってしまったのだ。
女はめんどくさい。
なんかよく分からないルールがある。
もっとシンプルな、少女といたいだけなのに。
僕らは大人になると、女とのつきあいかたも、
そのルールも、多少は分かってくる。
だけどぶっちゃけめんどくさい。
少年の頃のような、少女が隣にいる感じが最高なのに。
(その気持ちを上手く描いたのが、
「マイライフアズアドッグ」という傑作だ)
原田知世、麻生久美子、深津絵里は、
女の部分が希薄(に見える)な女優だ。
だから、
我々の中の未熟な少年が、女に分化する前の少女を、
彼女たちに求めるのだと思う。
自主映画野郎なんて、劣等感の塊だ。
だから、まだ大人の男に分化してなくて、
かといってロリコンにも堂々といけなくて、
中途半端な思いだけが、彼女たちに無意識を投影するのである。
昨今のショートカットブームは、
同じ匂いを感じる。
広瀬すずに、我々は女に分化する前の少女を夢見た。
しかし、こいつも女の嫌な部分を持ってたのだ、
とばれてしまい、幻滅の手のひら返しが猛烈に起こっている。
本田翼も、芝居が下手で熱愛もあって幻滅。
能年玲奈も、奇行で幻滅。
宮崎あおいの凋落も、浮気という女の嫌な部分だった。
少女の一番いいところを彼女たちに投影しているところに、
僕はちょっと男の病的ななにかを感じるのである。
(イケメン俳優沼はその女版だと思っているのだが、
ちょっと深すぎて、安易な分析はやめておく)
その意味でビッチAKBのファンはすげえよ。
八百長を理解できるプロレスファン並の知性だぜ。
180度のねじれが自虐的にあるのかも知れないけれど。
(耽美系Vバンドのバンギャみたいなもんか。いや、軽率な分析はやめておく)
このへんの闇がもっとうまく掴めたら、
てんぐ探偵に書くかも知れない。
2015年06月30日
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