2015年07月02日

若いうちは、テーマとか糞だと思っとく方がいい

何故なら、人生経験が足りなさすぎて、
あなたの選んだテーマなんて、
青臭いケツのガキの言う戯れ言レベルだからである。


人の人生を物語が変えるということは、
並大抵のことではない。

しかも、
若いやつがテーマでやろうとすることは、
他人にテーマを押しつけて、
我が説が正しいから、無理矢理改宗せよ、
と迫る宣教師でしかないのである。

我が説が、あらゆる角度から見て、
魅力的かつ自然かつ新しいことであるなんて、
若い頃は気づけない。

自然と、俺説の押し売りになりがちだ。


それはつまり、人んちを朝からピンポンして、
キリスト教の話をしはじめるエホバの証人の、
胡散臭さ、はた迷惑さと同じだ。
(うちは迷惑してるので恨みがある)


人生経験を積むと、
押しつけてもダメだということが分かってくる。
それはレイプに過ぎないのだと。
それを同意の上だとうそぶく奴と、たいして変わらないのだと気づこう。


つまり若い頃は、
オリジナルのテーマを考え出すことを、やめた方がいい。

どこかで聞いたことのある、
しかし面白げなテーマを、
新しく面白いドラマで、
全く新しく書き直すことに挑戦したほうが、
実りが多い。

出口が決まっていてルートを考える労苦と、
出口もルートも自分で考えなければならない労苦の差である。


若いやつの指導をしていると、
どっちも半端で、
出口を決めたらルートが変わって、
そのルートを決めたらまた出口が変わる、
ということを延々やって疲弊していくことがよくある。
で、最初のバージョンから、
一度たりとも良くなったことがないまま、
イマイチで終わってしまう。

たかが若輩者が世の中に物申すなんて、
ほんとに幼稚な主張ばかりだ。自己満足ばかりの押しつけだ。
高校生の弁論大会と大差ない。
その構造自体が寒い。


それを自覚しよう。

だから、世の中に言いたいことはブログなどでやろう。
物語に託すのなら、
それが抜群のエンターテイメントになっていることが、
最低条件である。

まず、
既存の出口へ向かう、
抜群のエンターテイメントを作れるようになってから、
はじめて自分のテーマを探すといいかも知れない。



(僕個人の話でいえば、
CMといういわば出口の決まっている仕事ばかりだったので、
そこへどう至るかというルートを沢山鍛えた。
ドラマと映画を経て、
自分のテーマを探すべきだと思った。
で、今は心の闇と取っ組み合って、
日々世の中にチクリと針をさそうとしている。
CMのルートの豊富なスキルがなかったら、
意識高い系的な主張を押しつけることしか、
一生出来なかったかも知れない)
posted by おおおかとしひこ at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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