何故なら、人生経験が足りなさすぎて、
あなたの選んだテーマなんて、
青臭いケツのガキの言う戯れ言レベルだからである。
人の人生を物語が変えるということは、
並大抵のことではない。
しかも、
若いやつがテーマでやろうとすることは、
他人にテーマを押しつけて、
我が説が正しいから、無理矢理改宗せよ、
と迫る宣教師でしかないのである。
我が説が、あらゆる角度から見て、
魅力的かつ自然かつ新しいことであるなんて、
若い頃は気づけない。
自然と、俺説の押し売りになりがちだ。
それはつまり、人んちを朝からピンポンして、
キリスト教の話をしはじめるエホバの証人の、
胡散臭さ、はた迷惑さと同じだ。
(うちは迷惑してるので恨みがある)
人生経験を積むと、
押しつけてもダメだということが分かってくる。
それはレイプに過ぎないのだと。
それを同意の上だとうそぶく奴と、たいして変わらないのだと気づこう。
つまり若い頃は、
オリジナルのテーマを考え出すことを、やめた方がいい。
どこかで聞いたことのある、
しかし面白げなテーマを、
新しく面白いドラマで、
全く新しく書き直すことに挑戦したほうが、
実りが多い。
出口が決まっていてルートを考える労苦と、
出口もルートも自分で考えなければならない労苦の差である。
若いやつの指導をしていると、
どっちも半端で、
出口を決めたらルートが変わって、
そのルートを決めたらまた出口が変わる、
ということを延々やって疲弊していくことがよくある。
で、最初のバージョンから、
一度たりとも良くなったことがないまま、
イマイチで終わってしまう。
たかが若輩者が世の中に物申すなんて、
ほんとに幼稚な主張ばかりだ。自己満足ばかりの押しつけだ。
高校生の弁論大会と大差ない。
その構造自体が寒い。
それを自覚しよう。
だから、世の中に言いたいことはブログなどでやろう。
物語に託すのなら、
それが抜群のエンターテイメントになっていることが、
最低条件である。
まず、
既存の出口へ向かう、
抜群のエンターテイメントを作れるようになってから、
はじめて自分のテーマを探すといいかも知れない。
(僕個人の話でいえば、
CMといういわば出口の決まっている仕事ばかりだったので、
そこへどう至るかというルートを沢山鍛えた。
ドラマと映画を経て、
自分のテーマを探すべきだと思った。
で、今は心の闇と取っ組み合って、
日々世の中にチクリと針をさそうとしている。
CMのルートの豊富なスキルがなかったら、
意識高い系的な主張を押しつけることしか、
一生出来なかったかも知れない)
2015年07月02日
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