プロットとは、執筆にとって地図だ。
最初書くときは、どういう話にしようかと構想して練ることだが、
いざ執筆をはじめたら、それはGPSのように、
いまここですよ、と指示してくれる強力な武器になる。
この先しばらく冗談タイム、
この先しばらく二転三転、
この先デカイ山あり、
この先しばらくミスリード、
この先しばらく嘘がばれない、
この先どんでん返しあり、
この先しばらく伏線、
この先緩急のあと緩、からの急、
などなど。
プロットが分かっていれば、
会話も行動もスムーズだ。
今の話題をどう次にもっていくか、誘導しやすい。
プロットがあるから、
安心してアドリブをかませるのだ。
プロットがあるから、
いま脱線中か本線中かを自覚出来るのだ。
旅行のしおりと同じだ。
何日の何時にどこへ行くかは決まっている。
そこへ行く理由も、そこで何をするかも決まっている。
あとは登場人物本人たちと観客が、
そうと知らないままに、
必然的にそこへ雪崩れ込む、
本人が素晴らしい思いつきとしてそこへ雪崩れ込むように、
書いていけばいい。
旅行とはいえ、多少予定の変更はある。旅のアクシデントのようなものだ。
どれだけプロットを正確に守るか、どれだけ脱線するかは、
作家の性格や作品によってもばらつきがあるだろう。
自然に話がそっちへいき、面白ければ何でもいいはずだ。
ただプロットが崩壊してしまっては、その先が困るだろうけど。
「てんぐ探偵」は、
全50話程度のプロットは既にあった。
執筆途中エピソードが増えて全56話になった。
50話の構成(順番)は既にあった。
が、何回も更新した。
書いてる途中ですら変わった。
次の第十集のために、「宿主と心の闇の一覧」を描いてみた。
中表紙になる予定の絵だ。
今後書き終えて微妙に順番を変えるかも知れないけど、
一応、何がどのようにどんな順番で起きるか、
という全体プロットになっているのだなあ、
と改めて思う。
今まで心の闇、すなわち敵と、
エピソードタイトルの一覧ばかり書いてきたのだが、
そもそもこのシリーズは、
取り憑かれる宿主が毎回の主人公であるから、
その一覧をなぜ書いてなかったのか、
と痛恨の思いだ。
主人公はシンイチでもあり、宿主でもあるのにね。
もしこういうシリーズを書くなら、
ゲスト主人公、敵、エピソードをセットにし、
レギュラー主人公がどう関わるかを一覧にすると、
それが全体のプロットになる。
5W1H。
誰が。いつ。どこで。何を。どういう理由で。何する。
この基本に答えられるのが、プロットだ。
それが曖昧なのは、プロットではない。
(いちいち明示しなくとも暗示でよい。
考えていなかった、ではプロットとして失格だ)
「こういうことのあとに、それゆえ、こういうことを起こす」
の連鎖がプロットである。
全体地図をちょいちょい見ながら、
全体地図をちょいちょい修正しながら、
執筆の旅を完遂しよう。
一昨日から書いてきた48話「闇の名前」(妖怪「天狗」)は、
全体のテーマと関係する重要エピソードだ。
しかも当然ラストへの伏線になる。
心の闇「天狗」と、遠野の天狗たちの違いとか、
「天狗になる」とはどういうことか、とか、
めちゃめちゃ肝になるところを書いている。
今日はそのヤマを書く。
シンイチの行動は決まっていたが、
天狗たちのリアクションは決まっていなかった。
登場の予定もなかった。
しかしやはり登場させるべきだと思い、昨日は執筆をやめて構想に入った。
最初の台詞「奴め、言いたい放題か」から、はじめる予定だ。
プロットは、最後までの見取り図だ。
これを見ながら、今具体がどうあるべきかを考えるのである。
2015年07月05日
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