見たいものは何か。
バトル。恋愛。漫画でしかないキャラの実写化。
そうやって、名詞で言うから、間違えるのだ。
これまで議論してきた通り、
見たいものとは、二幕(とくに前半)のことである。
ブレイク・シュナイダーはお楽しみポイントと名付けた。
つまり予告編で中心となるところで、
企画書の一行目に書くところで、
その場面がジャンルに書かれるところで、
つまり、「見たいもの」に対応するところだ。
ロボット同士の実写バトル、
宇宙探検旅行、
海洋冒険、
恐竜島が恐怖の島になるさま、
追いかけられる恐怖、
謎のゲームを強制される、
不思議な恋がはじまりデートしにいく、
すれ違いの悲恋、
忍びの術のバトル(しかも試合の裏で)、
などなどのことだ。
プロデューサーはこういうものしか要求しない。
下手したら、これが見世物である映画だ、
としか考えていないかも知れない。
(更に下手したら、これらのものがたっぷり見れれば、
ストーリーでなくてもいいと思ってるかも知れない。
「マッドマックス」新作は未見だが、その匂いがする)
もしあなたの企画書が通らないのだとしたら、
この見世物的分かりやすさが足りないと思われている可能性がある。
一幕は本命である二幕の準備段階で、
三幕は好きにやって盛り上げて、
のレベルで考えているかも知れない。
「見たいもの」の中に一幕と三幕は入っていない。
事件から解決の一連の流れでテーマを暗示する、
ということは名詞一言で捉えられないし、
「見たいもの」でそこまでを思うことはまずない。
(僕はそこまで思うので、だから他になくて、書くのである)
企画書は、出資のためにある。
だから、「見たいもの」が分かりやすく書かれる。
それは見世物としての映画の本質だが、
物語としての映画の本質ではない。
それを分かって企画書を書けばいいのだが、
最近、「見たいもの」をそのまま作ってるだけの映画が、
増えたような気がしてしょうがない。
名詞一言で、短絡になっている気がしてしょうがない。
自覚的に、あなたは使い分けよう。
一幕と三幕で、事件と解決とそれで暗示するテーマをつくろう。
二幕で、「見たいもの」を存分に描こう。
(これが予算的に少なそうなものが昨今通りやすいよ!)
一幕と三幕が物語の肝で、
二幕が見世物の肝だ。
あなたはそれを上手に融合した上で、
なおかつ相手によって、話題を使い分けなくてはならない。
相手は見るところがあなたと違うのである。
それが見世物物語としての、映画の扱い方であるような気がする。
最近見世物の話しかしない人ばかりで、
物語の話をする人や、
物語と見世物の融合の見事さの話をする人がなかなかいなくて、
ちょっと詰まらない。
2015年07月06日
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