2015年07月07日

素人がおかしがちな誤りを、並べてみる2(正答編)

数行程度に、正解を書いておく。


○ストーリーを一枚絵でとらえるのは、間違い:

ストーリーとは流れである。静止しない。動くから面白い。
静止画は設定やラストの絵になり、動き(事件、焦点)を意味しない。
事件と解決、その過程という一連でとらえるべき。


○最初に設定とキャラをつくるのは、間違い:

そこで満足しておしまいになる。ストーリーの核心は事件と解決。
さきにそっちをつくって、
それに設定やキャラをのっけるほうが最後までつくれる。


○自分を主人公にするのは、間違い:

他人を主人公にすること。何故なら映画は三人称だから。
自分を主人公にすると、御都合主義や、
弱気で何もできない俺なのになぜか成功しみんなに喜ばれる、
という「落下する夕方」テンプレに陥りやすい。


○コンフリクトを葛藤と考えるのは、間違い:

葛藤とは一人の心の中で思い悩むこと。
コンフリクトとは他者と他者の間のもめごとである。
映画はもめごとを描き、カメラに写らない個人の心の中はうつさない。


○感情移入と好きを混同しているのは、間違い:

好きは他人への感情。
感情移入は、他人をまるで自分だと思ってしまう感情。
同情のほうが近い。


○好きなデザイン、好きな世界観、好きなキャラ、好きな音楽で映画を見るのは、間違い:

好きなストーリーで考えること。
上に上げたものはすべてストーリーのパーツであり、骨格ではない。


○書きながらその先を考えるのは、間違い:

絶対うまくラストまでいかない。
悩んでこれ以上書けなくなることうけあい。
プロットを書いて全体像を把握してから書くこと。
逆にプロットとは、最後まで書くための道具であり、
あらすじをわざわざ先に書くことが重要なのではない。
最後まで書けるのなら、超詳細なプロットが事前にあってもかまわない。


○テーマを主張と考えるのは、間違い:

主張するやつは、ブログでやれ。
テーマは、我々人類の集合的無意識の中で、まだ言葉になっていないものだ。


○三人称形でなく、一人称形で考えるのは、間違い:

映画は小説ではない。カメラで撮る三人称だ。
「わたし」ではなく、一番目立つ他人が、主人公だ。
(一人称映画、つまりハメ撮りにおいてはこの限りではない)


○テーマとモチーフを混同するのは、間違い:

モチーフ(具体物)で現された意味が、テーマ。
「鳩が殺される」ことで「平和が終わる」を意味するなら、
前者がモチーフ、後者がテーマ。


○お楽しみポイントとテーマを混同するのは、間違い:

お楽しみポイントは二幕。テーマを示すのは一幕と三幕。
どちらも映画を現すものであるが、
混同していると話がこんがらがる。
前者はプロデューサーや素人がいう「見世物としての映画」、
後者は脚本家や監督がいう「文学的物語としての映画」だ。


○どんでん返しをネタバラシするのは、間違い:

当たり前だろう。某予告編、一生ゆるさねえ。


○ご都合主義は、間違い:

自分だけが御都合主義に囲まれたいのだ。
他の人が御都合主義に囲まれているのは、不快なのだ。
自分と他人を区別しよう。


○起承転結を4段階と考えるのは、間違い:

起と結のペア、承、転のみっつで考えるとよい。


○「見たいもの」で映画を考えるのは、間違い:

「見たいもの」は静止画である。お楽しみポイントである。
一幕と三幕を意味しない。


○リアリティーを他人任せにするのは、間違い:

リアルな女子高生の会話が書けないことを、
「実際の女子高生にしゃべってもらってリアルな言葉を拾うので、
今は書かない」とごまかすやつは、
作家としての能力不足だ。
自分で把握したフィルターこそが、あなたの個性であり、力である。


○段取り芝居は、間違い:

まるで本当にそれがそこで起こっているように。
まるで今はじめて全員が気づいたリアリティ。
段取りになるのは、リアルに書くのが下手だから。
posted by おおおかとしひこ at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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