ここ最近フィクションとリアリティーについて考えていたからか、
すごく気になった。
キジ編は、下手くそなフィクションだ。
フィクションを、いついかなるときも嘘で構築出来ると思っているのは、
ドシロウトである。
フィクションにおいて、嘘は一回しかつけない。
すべてのことは、
「その嘘を認めるとしたら、
その世界のなかで全てリアリティーがあること」
でなければならない。
キジ編は、ふたつ嘘をついている。
「烏が竜になること」と、
「キジの踊りに効果がある」ことだ。
僕は林のなかでキジが踊っている、
絵的には素敵だが意味的には意味不明なあのカットで、
苦笑してしまった。
あれは羽という設定でいいんだよな?
人が棒に布を貼りつけて持っている、
衣装もしくは不思議な道具ではなく、
羽という設定でいいんだよな?
犬のアレは道具をつけたんだけど、
羽は肉体の一部という設定でいいんだよな?
伸びたって言ってるし。
矛盾してないか。
矛盾というより、嘘が下手だ。
一方で人間に道具、
一方で羽のあるミュータントがいる世界。
それは、世界に前提となる嘘を増やしていくことになる。
烏が竜になり、不思議な踊りが通用するということを、
ミュータント(または魔法一族的な)で、
説明しようとしたのか。
だとすると、鬼もそういう魔法一族なのか。
桃太郎はどうなのだ。魔法一族か?(桃から生まれたかは不明)
あの世界に人間はいるのか?犬一族だけか?
まさかだけれど。
鬼は魔法一族(戦闘するときは人間になる)、
桃太郎も魔法一族(鬼の一族かも)だったという、
出自どんでん返しで、
桃に封印されてタイムスリップさせられる、
なんてループ落ちが待ってるんじゃないだろうな?
まあ、ご都合主義の二次創作としては、
プロの作品として見なければ許容範囲だろう。
ご都合主義とは、作者の都合で所々嘘を足していくことをいう。
このシリーズは、世の中に魔法一族がいる、
というひとつの嘘から始まっていない。
優れたフィクション、というか、
フィクションの前提は、
たったひとつの嘘(大嘘ほどスケールが大きくなる)から始まっていることだ。
だから、下手くそなフィクションだ。
一般にそれを、あとづけと言って馬鹿にする。
烏が竜に変化。
キジの踊りが通用する。
竜が烏に戻る。
これらの複数の嘘を統合するひとつの嘘は、
彼らは魔法一族であり、人間ではないことだ。
(あるいは人間でやっていることを、
物語的に誇張している訳でもなさそうだ。
踊りが暗示するのは、伝統的に売春婦である。
そういう話でもなさそうだ。キジの羽のレインボーカラーは、
ゲイレズビアンの暗示だが、そこは意図的ではないだろう。
売春婦が夜噺をすることで、誰かがほだされる、
ということを物語的に誇張した話でもない。
つまりBL的に言えば兄×弟という訳でもなさそうだ)
ということは、
魔法一族の嘘が、あとづけだ。
下手くそで屁が出る。
また、今回も「自分より強いやつを倒せ」に落ちてない。
強いやつは、大きさなのか?
どうやって倒せたのか?
決着から逃げた(引きで爆発して誤魔化した)時点で、
この話にはクライマックスがない。
クライマックスがないから、
意味の定着もない。
力と愛はどちらが強いのか?
愛が力を凌駕するのなら、自分より弱いやつを倒しただけだ。
力より弱い愛が、なんらかのことで愛が強くなり、
一瞬力を凌駕して倒すのなら、
テーマに落ちている。
どうやって?
それがストーリーだろ。
これがストーリーだと思っているのなら、
下手くそ過ぎて身まで出るわ。
フィクションを馬鹿にすんじゃねえ。
フィクションは、一回しか嘘をつけないルールで、
リアリティーを構築する、一種の頭脳ゲームだ。
リアリティーがリアリティーが、なんて言ってる馬鹿は、
こういうご都合主義の嘘まみれの糞フィクションが堂々と横行しているからだろう。
本当のフィクションを知らないから、
リアルしか知らないのだろう。
それじゃ、物語が生まれる以前の、
現実しか知らない野蛮人ではないか。
これが商業主義だよ。
中身なんてどうでもいいのさ。
売れさえすれば。
そのうち握手券つけるんじゃねえの?
あなたは、ちゃんとしたフィクションを書きなさい。
リアリティーで溢れまくった世界で、
しかもひとつだけ嘘をつきなさい。
その嘘は、大抵はみんなの願望で、願いを反映しているはずだ。
こんな糞みたいな世界なくなってしまえ、という願望でもいいし、
この世界がもっと良くなるといいのに、という願望でも構わない。
今、前者の方がリアリティーがある。
後者のリアリティーが書ける人が、ほんとはみんなが欲しいはずだ。
2015年07月10日
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