2015年07月13日

会話は、1ターンではない

早稲田アカデミーが下手くそなのは、
会話が1ターンで終わってしまうこと。
(その代わり延々と独り言を聞かされる)

台詞は、大抵1ターンで終わらない。


ターンはゲーム用語であるが、
A「」
B「」
を1ターンと定義しよう。

あなたは色々な場面で、
何ターンの会話を書くだろうか。
数ターンは書く筈だ。

何を書いても自由だが、

思いを吐露すること/相手を受け入れること
頼むこと/断るか受けるかを言うこと
説明すること/質問すること
元に戻れない決定的なことを言うこと
状況を言うこと/状況を追加すること
これからを予想すること/過去をとらえること

などがないまぜになりながら、
台詞劇は進行していくものだ。

二人芝居ならターンが数えやすいが、
三人、四人と増えていくと、
場の会話とでも言うような、
全員の同意(見えない空気)がそこに生じて会話は複雑にすすむ。
(勿論、二人の空気が二人芝居の時でもある)
台詞劇は、
この場の同意を大雑把に得るところからはじまり、
より細かい所を詰めて、反対や賛成や妥協点を見いだし、
新たな同意の局面に達する。

これに何ターンか、確実にかかるはずだ。

勿論、何ターンかかけておきながら、
決めになるシーンは1ターンでやるのが格好いい。
その1ターンで決めるのを、大抵名台詞という。

つまり、何シーンもの何ターンもの会話を重ねた末、
(これがコンフリクトを描くということ)
1ターンで決める、
というのが、台詞劇の醍醐味なのだ。

(ちなみにてんぐ探偵48話では、○○と○○の直接会話が、
延々30ターンぐらいの会話をする場面がある。
ドラマ風魔の小次郎の最高の場面のひとつ、告白も、
何ターンもの会話を経た上での、決め台詞だ)


ナレーションが台詞劇で嫌われる、否定されるのは、
これらをすっ飛ばして何もかも説明してしまうからだ。
それが何でも説明できる、便利すぎる道具であるゆえに、
初心者は濫用を戒められる。

何故ナレーションを多用してはならないのか。
台詞劇は、単なる情報交換ではない。
感情移入がそこに生まれるのだ。

あることに必死になっている人をみるだけで、
我々はついつい肩入れするのだ。

それを、一歩引いた目線でナレーションにしてしまうと、
折角砂かぶりにいる観客を、
後方席に移してしまう無粋がおこるのである。


つまり、ナレーションは、無粋である。
下手である。

ナレーションの方が情報量が多い。
台詞では言えないような、細かいニュアンスも出せる。
だからそれに頼って、登場人物そのものから、
遠ざかってしまう。

だからナレーションは良くない。



早稲田アカデミーの、誰かの独り言を聞かされている不快さは、
登場人物そのものを見ることが出来ない、
ガラス張りの動物園のような、
コンドームありのような、
間に何かを入れられた異物感がある。
生が最高なのに。
そして、映画とは、その生にどれだけ肉薄するかが、
肝だというのに。


つまり早稲田アカデミーは、人間から逃げている。
人間同士のめんどくさいことから逃げている。
勉強ばかりやって、人間から逃げてれば?
ずっと独り言言って、一方的な主張を押しつけてれば?
(このブログは、僕個人の分析と主張を、押しつけています)
posted by おおおかとしひこ at 12:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
山手線の車内でCM(宇宙飛行士編)を見ました。もちろんセリフ無しです。上手いなと…人間の行動の裏側には想像してないこういうことがあるんだなと。
セリフが無いことでいい絵として見れたんでしょうね。
Posted by maro at 2015年08月01日 16:08
maro様コメントありがとうございます。

僕は下手な例で早稲田アカデミーをあげています。
宇宙飛行士編は、おばはんの一人言を延々と聞かされる不快さが、もう嫌です。
それで宇宙飛行士になりたい気持ちを母が理解したのなら、人の変化を描いたドラマになるのですが、
なんだか分からないけど応援するわ、
というヌルイ落ちにずっこけました。

「僕、理系の大学に行く!」
という嘘臭い台詞に辟易し、
それを理解しない母に、日本の理系教育の将来を憂います。
(僕はガチガチの理系なので余計に)


「僕、宇宙飛行士になりたい!」
「それには理系の大学に行かなきゃだめよ」
「リケイノダイガク?」
「あ…」
フラッシュバックする今までの誤解、
息子の奇行は全て宇宙飛行士の自主訓練だったのだ。

「まずは、算数を頑張りなさい」
「…(凄く嫌だけど、やらなきゃ、と緊張)」
宿題をはじめる子供。
見守る母親。
でもすぐ飽きてヘルメットかぶり、月を見る子供。
母親に見つかり咳払いされると勉強机に戻ったり。

NA: その夢を応援するのは、早稲田アカデミー。


なんて落ちならば、
僕は早稲田アカデミーを一生尊敬したと思います。


このシリーズは絵は抜群にいいです。
近年トップクラスです。
しかし、内容が真逆で糞です。
桃太郎より少し上ですが、
目糞鼻糞レベルです。

そして脚本家とは、絵の事ではなく内容のことを作る仕事です。


maroさんはあまりいい映画を見たことがないか、
男の子を理解できない母親または、
女性に理解を求めたい男子で、単に自分と近いから共感しただけかも知れません。
いい映画を沢山見てください。
いい映画は、自分と遠い人にも感情移入が起こります。
Posted by 大岡俊彦 at 2015年08月01日 16:51
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック