2015年07月14日

しびれる

しびれるほどカッコイイ、
そういう場面は、物語ならではだ。

現実にはそんなカッコイイ奴はいないから。

乙女たちが恋するのも分かる。


しびれる場面はどうやったら出来る?

ただカッコイイ男だけでは出来ない。
そこに、危険がないとダメだ。

しびれる場面のレシピは、
カッコイイ男と、危険の二つである。


材料を吟味しよう。

カッコイイ男は、自信がなければならない。
それは、なにがしかの能力に裏打ちされている。
(ハッタリは論外だ。ハッタリでしびれる場面を演じる、
というパターンもあるが、それは裏だ)

危険は、そんな男をおびやかす。
普通の男なら死んじゃうような危険でも、
その男は平気な顔でクリアする。
比較が大事だ。
普通なら死んじゃうような場面を、
難なくこなす、という比較だ。

どや顔のしびれる台詞があれば完璧だ。


絶体絶命からの大逆転、
一見不可能と思えたことを軽くぶっちぎる、
強大な敵が一瞬で沈む、
などが、
しびれる。


つまり、しびれることは、
神話である。
凄い他人を描くことだ。

乙女たちが惚れるのも分かる。

それは、自分ではなく他人なのだ。


例えば俺たち男は、
アクション映画を自分のつもりで見るけど、
乙女たちは他人の神話として見ているかも知れない。

自分に引き寄せて考えれば、
どれぐらい凄いかとか、どれぐらい嘘臭いかとかの、
リアリティーがある。
だから男向けのアクション映画は、リアリティーを詰めている。

一方乙女の考えるアクションは、
リアリティーがなくて他人事の神話だ。
(だから少女漫画のアクションは毎回陳腐だ。リアリティーがない。
逆に少年漫画の恋愛は、乙女から見れば陳腐である)


他人事の凄いこと。

これがしびれる場面の正体だ。
感情移入とは真逆だと、理解しておこう。


理想は、感情移入している人物が、
しびれる場面を披露してくれること。
posted by おおおかとしひこ at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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