しびれるほどカッコイイ、
そういう場面は、物語ならではだ。
現実にはそんなカッコイイ奴はいないから。
乙女たちが恋するのも分かる。
しびれる場面はどうやったら出来る?
ただカッコイイ男だけでは出来ない。
そこに、危険がないとダメだ。
しびれる場面のレシピは、
カッコイイ男と、危険の二つである。
材料を吟味しよう。
カッコイイ男は、自信がなければならない。
それは、なにがしかの能力に裏打ちされている。
(ハッタリは論外だ。ハッタリでしびれる場面を演じる、
というパターンもあるが、それは裏だ)
危険は、そんな男をおびやかす。
普通の男なら死んじゃうような危険でも、
その男は平気な顔でクリアする。
比較が大事だ。
普通なら死んじゃうような場面を、
難なくこなす、という比較だ。
どや顔のしびれる台詞があれば完璧だ。
絶体絶命からの大逆転、
一見不可能と思えたことを軽くぶっちぎる、
強大な敵が一瞬で沈む、
などが、
しびれる。
つまり、しびれることは、
神話である。
凄い他人を描くことだ。
乙女たちが惚れるのも分かる。
それは、自分ではなく他人なのだ。
例えば俺たち男は、
アクション映画を自分のつもりで見るけど、
乙女たちは他人の神話として見ているかも知れない。
自分に引き寄せて考えれば、
どれぐらい凄いかとか、どれぐらい嘘臭いかとかの、
リアリティーがある。
だから男向けのアクション映画は、リアリティーを詰めている。
一方乙女の考えるアクションは、
リアリティーがなくて他人事の神話だ。
(だから少女漫画のアクションは毎回陳腐だ。リアリティーがない。
逆に少年漫画の恋愛は、乙女から見れば陳腐である)
他人事の凄いこと。
これがしびれる場面の正体だ。
感情移入とは真逆だと、理解しておこう。
理想は、感情移入している人物が、
しびれる場面を披露してくれること。
2015年07月14日
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