そういうのばっかり作って、
肝心の本編が書けない人がよくいる。
それは、要するに、物語が書けないのである。
序章ばかり書いて、一章から最終章までが書けない。
登場前のバックストーリーばかり書いて、
登場後どう絡むかが書けない。
裏設定ばかり書いて、肝心の本編が書けない。
それは、要するに逃げているのだ。
物語らしきものを書いて、
脚本家ごっこをしているのである。
ごっこだから、本気でなくていい。
ごっこだから、いつでも辞められる。
ごっこだから、面白い話かどうか、初見の人を巻き込むだけの面白い話かは、
詰めなくてもいい。
自分がごっこ遊びが気持ちよければいい、自己完結。
アマチュアならばそこ止まりでもいい。
ギターを触るのが楽しいからと言って、
全てのギター弾きがプロを目指さなくてもいい。
もしあなたがプロを目指すのなら、
ごっこ遊びを、ごっこ遊びだと認識することだ。
ごっこ遊びかどうかの分け目は、
「本編を最後まで書くこと」だけである。
序章、バックストーリー、裏設定は、
ストーリーではない。つまり本編を持たない。
ストーリー本編を作るのは苦しい。
だから、その苦しさから逃げるために、
序章ばかり、バックストーリーばかり、裏設定ばかり、書いてしまう。
本編とは、
三幕構造(はじまり、途中、おわり。
大岡式に言えば、問題、アイデアと実行、変化)を持った、
メインストーリーラインと、
絡み合ういくつかのサブストーリーラインの集合である。
これを頭から最後まで作り上げることは、
苦しい。
とても集中力がいるし、
なおかつ、それが面白い話であることは、
希である。
物凄く面白い本編が一発で出ることはない。
初心者であればあるほどだ。
プロを目指す者とは、
何本も完結させたことのある者を言う。
僕は、長さは問わない。
だから短い(5分程度、原稿用紙5枚)ものを、
沢山書いて沢山完結を経験するべきだと主張している。
完結したものを原稿用紙で積み上げ、
身長分書いたとき、
常に面白い話が書けるようになっているだろう。
それだけ、修練の必要な技能である。
「〜序章〜」とか、
「エピソードゼロ」とか、
「裏話的スピンオフ」とか、
「アナザーストーリー」とか、
そういうのもういいから。
さっさと本編に取りかかることだ。
骨のおれる、
プロットやテーマとの戦いを経て、
もっと骨のおれる、
執筆を経て、
もっともっと骨のおれる、
リライトや推敲を経て、
何本も完結させよう。
大長編を途中で止めるのではなく、
軽くて短い小話を、何本も書こう。
書けば書くほど、序章とかバックストーリーとか裏設定とかなんて、
全体の労力の1/10にも満たない労力しか必要ないことを知る。
つまりそんなのは子供のごっこ遊びで、
大人の知的冒険の、劣化オモチャみたいなもんだと分かるだろう。
2015年07月14日
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