2015年07月14日

序章とかバックストーリーとか裏設定とか

そういうのばっかり作って、
肝心の本編が書けない人がよくいる。

それは、要するに、物語が書けないのである。


序章ばかり書いて、一章から最終章までが書けない。
登場前のバックストーリーばかり書いて、
登場後どう絡むかが書けない。
裏設定ばかり書いて、肝心の本編が書けない。

それは、要するに逃げているのだ。
物語らしきものを書いて、
脚本家ごっこをしているのである。
ごっこだから、本気でなくていい。
ごっこだから、いつでも辞められる。
ごっこだから、面白い話かどうか、初見の人を巻き込むだけの面白い話かは、
詰めなくてもいい。
自分がごっこ遊びが気持ちよければいい、自己完結。

アマチュアならばそこ止まりでもいい。
ギターを触るのが楽しいからと言って、
全てのギター弾きがプロを目指さなくてもいい。

もしあなたがプロを目指すのなら、
ごっこ遊びを、ごっこ遊びだと認識することだ。
ごっこ遊びかどうかの分け目は、
「本編を最後まで書くこと」だけである。

序章、バックストーリー、裏設定は、
ストーリーではない。つまり本編を持たない。

ストーリー本編を作るのは苦しい。
だから、その苦しさから逃げるために、
序章ばかり、バックストーリーばかり、裏設定ばかり、書いてしまう。

本編とは、
三幕構造(はじまり、途中、おわり。
大岡式に言えば、問題、アイデアと実行、変化)を持った、
メインストーリーラインと、
絡み合ういくつかのサブストーリーラインの集合である。

これを頭から最後まで作り上げることは、
苦しい。
とても集中力がいるし、
なおかつ、それが面白い話であることは、
希である。

物凄く面白い本編が一発で出ることはない。
初心者であればあるほどだ。


プロを目指す者とは、
何本も完結させたことのある者を言う。
僕は、長さは問わない。
だから短い(5分程度、原稿用紙5枚)ものを、
沢山書いて沢山完結を経験するべきだと主張している。

完結したものを原稿用紙で積み上げ、
身長分書いたとき、
常に面白い話が書けるようになっているだろう。
それだけ、修練の必要な技能である。


「〜序章〜」とか、
「エピソードゼロ」とか、
「裏話的スピンオフ」とか、
「アナザーストーリー」とか、
そういうのもういいから。

さっさと本編に取りかかることだ。

骨のおれる、
プロットやテーマとの戦いを経て、
もっと骨のおれる、
執筆を経て、
もっともっと骨のおれる、
リライトや推敲を経て、
何本も完結させよう。

大長編を途中で止めるのではなく、
軽くて短い小話を、何本も書こう。


書けば書くほど、序章とかバックストーリーとか裏設定とかなんて、
全体の労力の1/10にも満たない労力しか必要ないことを知る。
つまりそんなのは子供のごっこ遊びで、
大人の知的冒険の、劣化オモチャみたいなもんだと分かるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 03:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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