2015年07月16日

サブプロットがぶれる

という検索ワードでここに来た人がいるので、
考えてみよう。


サブプロットがぶれる、
というのが具体的にどのレベルをさすのか分からないけど。

結局、メインプロットが弱いのが原因。


またドラマ風魔を例に出すけど、
主人公小次郎のメインプロット(成長)が、
しっかりとあるからこそ、これを背骨に出来るのだ。
(忍び未満の若者→姫子に惚れる→自分の判断で暴走ぎみ
仲間の死を経験、仲間がどう考えるかも知る→風林火山に偶然会う
→竜魔が寝込むことで自分に責任が回ってくる
→風林火山の特訓→姫子と心を通じ会わせる
→麗羅を失う→風林火山の完成
→忍びでもあり人でもある、新しい忍びの形になる)

ここに、壬生、武蔵、絵里奈、竜魔、霧風、麗羅、
姫子など、多くのサブプロットが絡む。


サブプロットの役割を考えよう。
どのサブプロットも、必ず「メインプロットに対する役割」がある。
壬生のサブプロットは、小次郎の裏だ。
武蔵のサブプロットは、運命みたいなことだ。
竜魔のサブプロットは、小次郎の父としての役割の物語だ。
麗羅のサブプロットは、守るべき人についての話だ。
姫子のサブプロットは、小次郎が人間として生きることについてだ。
蘭子のサブプロットは、姫子と対にするためだ。

メインプロットにテーマがあるように、
サブプロットにもテーマがある。
それを、サブテーマという。

サブプロットがぶれるのは、
サブテーマがはっきりせず、
メインテーマとの関係が作者の中で明解ではないのが原因ではないか?

たとえば兜丸のサブプロットは、ぶれている。
それは、兜丸にはサブテーマがなく、メインテーマとの関係もないからだ。

琳彪にはサブテーマがある。
死はあっさり起こることだ。
これは小次郎のメインプロットの中で、
大きな影響を彼に与えることになる。

壬生のサブプロットは、ぶれぶれに見えるが、
全くぶれていない。
過信や嫉妬という人間の小ささの克服、
他人に認められる人生ではないこと、
などがサブテーマとなり、
忍びと人間の生き方の融合の、もうひとつの物語になっている。
小次郎は失うことで成長し、
壬生は孤独を認めることで成長する。
お互い、成長物語として対比的である。
(この為、互いの環境も対比的である)

むしろ、武蔵のサブテーマが弱かったなあ、
と反省していることについては、何度か書いている。



結局、サブプロットは、サブテーマを決めてないことが、
ぶれの原因ではないか。
サブプロットが、メインプロットとどう絡むか
(影響を与えるまたは与えられる、
強いのか弱いのか、何回か)
決めてないことが、ぶれの原因ではないか。

そもそもメインプロットが面白くないかも知れない。
感情移入に値し、仮にサブプロットがなくても、
そこそこ面白い話でなければならない。
(5分シナリオは、サブプロットを書く暇がないので、
面白いメインプロットだけに集中出来る)

面白いメインプロットを何本も書ける力があって、
はじめて大小のしっかりしたサブプロットが書けるようになるのではないだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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