2015年07月17日

物語とは、夕方から朝のことである

日が傾き始めた4時からはじめて、
朝7時に終わるようなものだ。
(春秋ベースの時間帯で)

徹夜の時を思いだそう。


物語がはじまったときから、
既に日は傾き始めている。
平和な昼は終わり、彷魔が刻がやってきた。
不穏から暗黒へ。
暗黒の夜は、物語の終わる朝まで続く。
つまり、ずっと不幸で危険で謎めいている。
平和で安心出来るのは、最後までない。


しかし暗黒といえども、
7時や9時ぐらいまではまだ楽しい時間帯。
宵も序の口だ。
夜を自覚しながらも、
昼間のように楽しくいられるかも知れない。

9時以降は、じっくりと何かに向き合う時間帯。
何かが深くなってゆく。
夜を自覚する。

12時から2時は、自分だけが楽しいかもだ。
いわゆる深夜ハイの時間帯。
客観的に見れば、どこかがおかしく、ズレている。

3時4時はキツイ時間帯。
思考は鈍く、動きも緩慢になってくる。
既にいなくなった(寝落ち、帰った)やつもいる。
誰もいない。みんないない。
自分(たち)だけが、この苦境を脱出しなければならない。

そして夜明け前がもっとも暗い。
温度も低く、最も静かだ。全ては死んだかも知れない。

一転、朝が来る。
時の声は、昔なら鶏だが今は新聞配達のバイク音か。
(新聞配達も減っているけど)

ともかくも、朝の一撃が来れば、
あとは一気に朝になる。
今までの暗闇が嘘のように晴れていく。
全てが明らかになり、正体がわかり、
何を恐れていたのだろうかと思うほど、
闇がバカらしくなる。
闇は克服した。夜は終わった。

新しい朝が来た、希望の朝が。
いやあこの徹夜の意味はなんだったんだろうね。

ああ、7時だ。寝よう。ぐっすりと。
緊張はすべてほぐれた。

布団に入って眠りに入る少しの間、
この夜を振り返るのである。
暗転。



リアル生活では、地球が勝手に動くので、
何もしなくても朝は来る。
しかし物語では、自力で地球を回さなくてはならない。
(一人でもいいし、協力者を探してもいいし、
工夫したやり方を思いついてもいい。
しかも物語ではそれを邪魔する奴が現れる)

つまり、物語とは、
夕方から夜になってしまった男が、(または女が)
自力で一夜を徹夜し、事態を進め、
自力で朝を迎えるまでを言う。


多くの初心者がやりがちなこと。

自力で地球を回さず、誰かが回してくれるか勝手に朝になる。
夜にならないまま朝になっておしまい。
夕方のまま夜にもならずおしまい。
徹夜になんの意味もなくておしまい。スーパー無駄徹夜。
同じペースで、特に苦労しなくても地球を回せる。邪魔するやつもいない。
ペースが早くてすぐ朝に。
ペースが遅くて夜のままおしまい。



夜とは、不幸、危険、秘密、暴露、歴史がつくられる、など。
朝とは、昼(平和、幸福)になることを確信、真新しいこと、希望、など。

自分の話のどこが、徹夜
何時ぐらい に当たるかを書いてみよう。
プロットや脚本原稿の横に書いてみるだけでいい。
何時台が多いのか?
何時台が足りないのか?
もし朝まで徹夜したことがないのなら、
一人で徹夜してみよ。
みんなで、仕事で、遊びで徹夜をしてみよ。

人間の懐の深さは、これまでしてきた徹夜の回数に比例する。

という名言をいま思いついた。根拠はない。


王族が一度してみたいことの中に「徹夜」と言うのはなんの話だっけ。
つまり、徹夜は最も人間的な行為だ。


もしかしたらこれまでのことは、
夜行性動物だったときの名残かも知れない。
ついでに、物語とはその時からある、
「人生の一単位」であり、
だからこそその型が理解しやすいのかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 02:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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