頭空っぽのほうが、夢詰め込める。
さて、考えよう。
考えることとはどういうことか。
多くの人は、城を立てていくイメージ。
緻密に設計し、何かを組み立てることが考えることだと思っている。
自分が考えるのが苦手なのは、その構築が複雑すぎて、
手に負えないからだと思い込んでいる。
僕は、それは間違っていると思う。
考えることとは、頭に空っぽの領域をつくることだ。
人間の頭というものは、
ほっておいても色々と考える。
あれをこうしよう、
あれはこうだろうか、
何であの人はあんなことを言ったんだろう、
そんなことばかり考える。
つまり、城はしょっちゅう作られている。
考えることは、
その城を一回全部脇において、
白紙の作業領域を確保することだ。
なんにもない、フラットな地平線。
そこに、これから考えるべき事の材料を持ってくる。
材料を集めたら、
また白紙の新しい作業領域を確保する。
真っ白なキャンパスだ。
そこに思い描く大胆なアイデアこそが、
考えを巡らせるということだ。
何かの城に何かを足していくのは、
考えることではない。
前の城の文脈が残っているからだ。
アイデアというのは、誰にとっても素晴らしいものでなければならない。
だから、誰とも関係ない白紙の空間で、
フラットに出た一番面白いものが、
一番強い。
僕は新しいことを考えるとき、
白紙を広げるのが大好きだ。
前の原稿を全部とっておくのも大好きだ。
城は城で残しておいて、
でもやっぱり白紙にアイデアをつくることが、
正しいと思う。
考え(アイデア)は、何かを踏まえた何かであってはならない。
何も踏まえなくても、白紙でそれを見て、
素晴らしいと思えるものでなければならない。
頭空っぽのほうが、夢詰め込めるが、
詰め込むのではない。
一から組み上げるだけである。
まず、頭の中に白紙という作業領域を確保せよ。
そうでない限り、
何かを踏まえた何かという、中途半端な考えしか生まれない。
2015年07月18日
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