2015年07月18日

考えることとは、空っぽの領域をつくること

頭空っぽのほうが、夢詰め込める。

さて、考えよう。
考えることとはどういうことか。
多くの人は、城を立てていくイメージ。
緻密に設計し、何かを組み立てることが考えることだと思っている。

自分が考えるのが苦手なのは、その構築が複雑すぎて、
手に負えないからだと思い込んでいる。

僕は、それは間違っていると思う。
考えることとは、頭に空っぽの領域をつくることだ。


人間の頭というものは、
ほっておいても色々と考える。
あれをこうしよう、
あれはこうだろうか、
何であの人はあんなことを言ったんだろう、
そんなことばかり考える。
つまり、城はしょっちゅう作られている。

考えることは、
その城を一回全部脇において、
白紙の作業領域を確保することだ。

なんにもない、フラットな地平線。

そこに、これから考えるべき事の材料を持ってくる。
材料を集めたら、
また白紙の新しい作業領域を確保する。

真っ白なキャンパスだ。

そこに思い描く大胆なアイデアこそが、
考えを巡らせるということだ。


何かの城に何かを足していくのは、
考えることではない。
前の城の文脈が残っているからだ。


アイデアというのは、誰にとっても素晴らしいものでなければならない。
だから、誰とも関係ない白紙の空間で、
フラットに出た一番面白いものが、
一番強い。


僕は新しいことを考えるとき、
白紙を広げるのが大好きだ。

前の原稿を全部とっておくのも大好きだ。
城は城で残しておいて、
でもやっぱり白紙にアイデアをつくることが、
正しいと思う。


考え(アイデア)は、何かを踏まえた何かであってはならない。
何も踏まえなくても、白紙でそれを見て、
素晴らしいと思えるものでなければならない。

頭空っぽのほうが、夢詰め込めるが、
詰め込むのではない。
一から組み上げるだけである。


まず、頭の中に白紙という作業領域を確保せよ。
そうでない限り、
何かを踏まえた何かという、中途半端な考えしか生まれない。
posted by おおおかとしひこ at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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