小道具と場所の話、つづき。
世界観についての初心者(一般人)の誤解は、
世界観>ドラマになってしまうこと。
ドラマ>世界観なのに。
小道具を使うために場所に移動するように、
描くべきドラマに対して、世界観を利用するだけなのだ。
たとえばガンダムの世界観を例にあげよう。
この世界観はとても良くできている。
スタジオぬえが設定したらしい。
宇宙時代になり、
スペースコロニーへ移住し、
地球人と宇宙育ちの間に、徐々に齟齬が出始めた世界。
核戦争によってミノフスキー粒子が生まれ、
レーダーが役に立たないため、
有視界戦闘特化のモビルスーツが主要兵器の世界。
宇宙育ちが、次の人類への革新、
認識力が拡大したニュータイプになりかかっている、
という世界観。
(続編のゼータでは、強化人間という人工ニュータイプが実戦投入される)
さて、この世界観設定が大事なのか、
人間ドラマ、すなわちアムロの成長(敵としてのシャア)が大事なのか?
素人は、世界観を主に見てしまう。
それだけモビルスーツは魅力的だし、
ニュータイプという哲学的なテーマは魅力的だからだ。
しかし本当は、
アムロの成長が大事なのだ。
仮に、「機動戦士ガンダム」という物語を
(僕はファースト以外ガンダムとは認めない。理由は後述)、
アムロの成長を残して世界観を別物にしたものをA、
全然別の人間ドラマにして世界観を残したものをBとしよう。
Aの世界観は、
たとえば同作者のザンボット3、ザブングル、エルガイム(ダンバインは特殊すぎか)、
などにしてもよいし、荒唐無稽なら第二次大戦下の少年兵の物語としてもよい。
Bの人間ドラマは、
他のガンダムシリーズの続編やスピンオフを想像してもよいし、
あなたの考えたガンダム世界でのオリジナルストーリーでもいい。
どちらが、ガンダムだろうか。
僕はAだと考える。
第二次大戦でアムロ少年が偶然乗ったレシプロ機が、
ガンダムという試験飛行機で、
赤いマスタングに乗った三倍速い戦闘機と戦い、
大きな護衛艦に乗って漂流すれば、
恐らくガンダムという物語になる。
シャアの作戦で嵐の日に襲い敵の領海に入り、
ジャブローへ向かう筋に出来るだろう。
(そもそもガンダムのストーリーの下敷きは、
十五少年漂流記をロボットアニメに翻案したものだ。
同工異曲に、銀河漂流バイファムがある。
教室にすれば漂流教室だ)
つまり、ストーリーの為に、
世界観がある。
たとえ第二次大戦下の少年飛行機乗りの話だとしても、
アムロの成長というガンダムの話を書くことは出来るだろう。
Bは、ガンダムの世界観を利用した、
「別の話」になる。
続編のゼータ、ダブルゼータは、
全然面白くなかった。
たしかにモビルスーツは面白かったよ。
黒いガンダムやサイコガンダム、メッサーラやギャプラン、
百式やガブスレイやハンムラビやバウンドドッグやキュベレイは、
いまだに大好きだ。ジオとメタスはきらい。
しかし、肝心の話が面白くない。
カミーユの物語が全然面白くなかった。
一言で示せば、色んなお姉さんに憧れて狂った話、
とでも言えるか。
リアタイで中二だから、それなりに中二病的に見れたけど、
アムロよりもひねたガキのメアリースー的物語で、
夢落ちと同等に責任放棄の狂い落ち。
女名前にコンプレックスがあることの、
昇華がどこにもなかった。
(この初期設定は、本来「男になる」という昇華と対になるべきものだ。
振りに対して落ちが違う)
これで失望したので、ジュドーについてはもうどうでもよかった。
中三のとき最後まで見たけど苦痛だった。
プルプルプルー?殺そうかと思ったよ。
つまり、これが世界観を残して物語が浮いている主な例だ。
ガンダムという物語は、
あくまでアムロの物語なのである。
アムロ、カミーユ、ジュドーという三人の物語ではない。
三つの話は、パラレルワールド、といったほうがしっくり来る。
ということは、世界観の継続には、
(儲けるという商業主義以外に)なんの意味もない。
もしガンダムの続編を作るならば、
アムロのその後を描くべきなのだ。
しかしそれは蛇足だ。
(逆シャアは詰まらなかった)
だからガンダムという物語は、ファーストで終わりなのだ。
アムロの成長物語を語るために、
連邦のテスト機に偶然乗り込むことや、
兵隊が足りないので難民船として乗り込みながらその機で戦闘することや、
ニュータイプに目覚めていく過程で、
敵のライバル、すなわち、シャア、ラル、ララアがいるのだ。
その為に、
サイド7からジャブローからアバオアクーがあり、
ザクやグフやドムやズゴックやゲルググがあるのだ。
全ては小道具と場所と同じだ。
喫茶店でウエイトレスが水を注ぎに来るのを利用して、
気まずい間を描くことと同じなのだ。
気まずい間の為に、ウエイトレスと水を用意するのであって、
ウエイトレスと水から、別れのあとの気まずい間を作るのではない。
にもかかわらず世界観のほうが大事だと誤解する理由は簡単だ。
世界は目に見え、物語は見えないからだ。
世界は写真にとらえられるが、物語は動き続けて写真に定着できないからだ。
人の記憶や思考は、動くものを一端止めてからでないと働かない。
(これは僕の仮説)
だから世界観こそ重要だと思ってしまうのである。
あなたが脚本家でなければ、どうぞどうぞ何を大事にしてもいいです。
あなたが脚本家なら、それらに惑わされるな。
モビルスーツもマグネットコーティングも、
ニュータイプもコロニー落としも、木星帰りのサイコミュも、
単なるウエイトレスやコップや水と同じ、小道具に過ぎない。
そんなもん使い捨てだ。
他にも似たような魅力的小道具は世の中にたくさんある。
超能力、異世界、ドラゴン、バンパイア、霊魂や運命や生まれ変わり。
それらは物語のための小道具だ。
焦点の運動こそ、大事にすべきだ。
2015年07月22日
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世界観とは、物語を通じて見えていくべきです。
スターウォーズもそうでした。
存外、昨今の作品は始めに世界観を説明しすぎなのかもしれませんね。
それこそガンダムやスターウォーズは、基本的な世界観を説明したあとは、まだ理解出来てない観客をそのまま世界に放り込んでたような。
だから、観るもの全てが新しくワクワクさせてくれたのかも。
マッドマックスと進撃の巨人の感想も聞きたいです。
今月はてんぐ完結編に全力を使う予定のため、
現実逃避以外に映画を見ることはなさそうです。
なんといっても完結スペシャル6話入りの予定なので…
マッドマックス、アベンジャーズ、T5、進撃と、
男子的に見なきゃいけない映画より、
面白くなる予定!
大岡監督はブログ内でちょくちょくZガンダムを否定されておられますが、「どうすれば面白くなるか?」というスタンスで考えてみた際に、どのようなアプローチをされますでしょうか?
自分でも考えてみましたが、
カミーユを序盤で家族が殺されてしまう復讐者キャラにして戦う目的をはっきりさせ、
その一心で戦うもラストで精神崩壊し、テーマを
「復讐心は身を滅ぼす」
という教訓話にしてみる・・・というバッドエンド落ちになってしまいました。
でもバッドじゃないとZガンダムっぽくないなというのもあり、大岡監督ならどうやって組み立てていくかをお聞きしたいです。
えらい難しい問い。
結局テーマを何にするかではないかな。
前作は、「人の進化(希望的観測)」だったので、
続編としては、「人の進化」をそのまま継続、
反発する人たちと、進化した人たちのコンフリクトを描けばいいのでは。
ティターンズがそういう役割をする筈だったんだけどなあ。
たとえば地球から移民を追い出し、地球純粋種のみにする政策をうつとか。
カミーユは、それでサイド7とかに追放された、というところからはじめれば、
対ティターンズの地下組織(人の進化を認め、人権保護を主張とする)であるエウーゴに入りやすくなるかと。
「人は進化する」というテーマなら、
カミーユは進化して生き残るべき。
(シロッコに肉体は破壊されたとしても、
精神だけは生きてるテレパシストになるとか)
ラストは、ファが可哀想だから救いをあげたい。
ちなみに新訳版、ZZよりあとのものは一本もないのでどれかのバージョンにあるアイデアならしらない。
ジオニズムはある種の選民思想だが、それとニュータイプをどうして絡めなかったのか、とんと分かりませぬ。
逆シャアでちょっとはやったのか、記憶の彼方。