2015年07月21日

感情の爆発

泣き叫ぶ、非難する、激昂する。
感情の爆発は、
素人の考える、分かりやすい演技の華である。

しかし泣き叫んでばかりのお話はない。
ストーリー上の点として、
つまり線の上の点として、それらは存在する。


感情を爆発させることは、滅多にない。
(火病の国の人は違うかも知れないが)

だから感情の爆発は非日常で、
非日常だからドラマになるのである。

もし淡々と頭からお尻まで済ますのなら、
それはそれで詰まらない。
そういうのを、
クールなオフビートだとして90年代に流行ったが、
流行りでしかなかったね。
そしてその流行りは終わった気がする。
オフビートの前提が、安定した社会だからだ。
311を経験し、安定した社会を疑ってしまった我々は、
オフビートが嘘臭いことを分かってしまった。


人は、誰しも二面性の仮面をかぶっている。
世間で感情の爆発をさせない、公人としての自分と、
感情がどろどろに渦巻く私人としての自分だ。

校長先生にだってタイの少女を買うような性欲はあるし、
隣のキレイなお姉さんだって、中身はどろどろの悪人かも知れない。
感情の爆発とはつまり、
表の仮面をかなぐり捨てて、
素顔を晒す瞬間のことだと言える。
悪人の素顔だろうが善人の素顔だろうが、
それはとてもドラマティックである。


それには、タメの期間が必要だろう。
すぐ怒ったり泣いたりする人以外は、
ためこむ期間がある。
それを描くか省略するかはストーリー次第だし、
描くことが有効な場合も省略が有効な場合もある。
火山活動のように、
前兆現象があってもいいね。

で、どこかで爆発する。
クライマックスまで耐えて爆発させたのは、健さんのヤクザ映画だ。
序盤で爆発してもいいし中盤でもいい。
一回だけじゃなく、複数回あってもいい。
複数の同時爆発は、例えばカップルの修羅場だ。
でも多分クライマックスが一番分かりやすいだろうね。

また、爆発そのものは、どんな感情が爆発しているか、
分からなくてはならない。
大抵の現実では火病の人は「なんだか分からない迷惑な人」だが、
物語において感情の爆発をさせている人は、
どんな感情であるかが分かる必要がある。

つまり、台詞で表現するならば、
感情が爆発しながらなおかつその感情が分かる、
巧みな説明台詞でなければならない。

あなたは、感情を爆発させながら、巧みに書かなければならない。
この二律背反をコントロールすることが、
感情の爆発を上手く書くコツだ。
(てんぐ探偵50話の中盤での、シンイチの感情の爆発は、
物凄く難しかった。リアルでありながら、何が起こっているか、
説明しなければならないからだ。
「知らない人(この場合玄田)をそこに置く」ことで、
その人に説明をするという動作を誘発出来る。
実はここはプロットにはなくて、直接書き下ろしでやらなければならず、
大変苦労した部分だ)


爆発したら、そのあとどうなる?
実は、感情の爆発以上に、
それがその後どう影響を及ぼすかを考えることのほうが、
遥かに難しい。

ただの癇癪を起こしただけなのか、
それは他の人や本人を動かすことになるのか。
後者こそが物語であり、
だとすると、
この感情の爆発場面は、ターニングポイントだということになる。

(同じくてんぐ50話では、このあと「妻に会う」場面へのターニングポイントになっている)

逆算すれば、
そのターニングポイントの為に感情の爆発場面をつくり、
感情の爆発の為に発火点を用意し、
その為に溜め込みを用意するのである。
(同じくてんぐでは、第一話からそれが仕込まれていた。
火山活動のように、50話冒頭で悪夢を見て前兆現象にしているけど)


カップルが喧嘩して仲直りするだけでは、
ドラマではない。
カップルは変化しないからだ。
仲直りしたことで、次に何か進むことがドラマになる。
例えば結婚とか。


現実には、感情の爆発は滅多にない。

滅多にないからこそ、
非日常の、物語という線の、
ハイライトになるのである。

そしてそのハイライトの前後こそが、シナリオである。
posted by おおおかとしひこ at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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