泣き叫ぶ、非難する、激昂する。
感情の爆発は、
素人の考える、分かりやすい演技の華である。
しかし泣き叫んでばかりのお話はない。
ストーリー上の点として、
つまり線の上の点として、それらは存在する。
感情を爆発させることは、滅多にない。
(火病の国の人は違うかも知れないが)
だから感情の爆発は非日常で、
非日常だからドラマになるのである。
もし淡々と頭からお尻まで済ますのなら、
それはそれで詰まらない。
そういうのを、
クールなオフビートだとして90年代に流行ったが、
流行りでしかなかったね。
そしてその流行りは終わった気がする。
オフビートの前提が、安定した社会だからだ。
311を経験し、安定した社会を疑ってしまった我々は、
オフビートが嘘臭いことを分かってしまった。
人は、誰しも二面性の仮面をかぶっている。
世間で感情の爆発をさせない、公人としての自分と、
感情がどろどろに渦巻く私人としての自分だ。
校長先生にだってタイの少女を買うような性欲はあるし、
隣のキレイなお姉さんだって、中身はどろどろの悪人かも知れない。
感情の爆発とはつまり、
表の仮面をかなぐり捨てて、
素顔を晒す瞬間のことだと言える。
悪人の素顔だろうが善人の素顔だろうが、
それはとてもドラマティックである。
それには、タメの期間が必要だろう。
すぐ怒ったり泣いたりする人以外は、
ためこむ期間がある。
それを描くか省略するかはストーリー次第だし、
描くことが有効な場合も省略が有効な場合もある。
火山活動のように、
前兆現象があってもいいね。
で、どこかで爆発する。
クライマックスまで耐えて爆発させたのは、健さんのヤクザ映画だ。
序盤で爆発してもいいし中盤でもいい。
一回だけじゃなく、複数回あってもいい。
複数の同時爆発は、例えばカップルの修羅場だ。
でも多分クライマックスが一番分かりやすいだろうね。
また、爆発そのものは、どんな感情が爆発しているか、
分からなくてはならない。
大抵の現実では火病の人は「なんだか分からない迷惑な人」だが、
物語において感情の爆発をさせている人は、
どんな感情であるかが分かる必要がある。
つまり、台詞で表現するならば、
感情が爆発しながらなおかつその感情が分かる、
巧みな説明台詞でなければならない。
あなたは、感情を爆発させながら、巧みに書かなければならない。
この二律背反をコントロールすることが、
感情の爆発を上手く書くコツだ。
(てんぐ探偵50話の中盤での、シンイチの感情の爆発は、
物凄く難しかった。リアルでありながら、何が起こっているか、
説明しなければならないからだ。
「知らない人(この場合玄田)をそこに置く」ことで、
その人に説明をするという動作を誘発出来る。
実はここはプロットにはなくて、直接書き下ろしでやらなければならず、
大変苦労した部分だ)
爆発したら、そのあとどうなる?
実は、感情の爆発以上に、
それがその後どう影響を及ぼすかを考えることのほうが、
遥かに難しい。
ただの癇癪を起こしただけなのか、
それは他の人や本人を動かすことになるのか。
後者こそが物語であり、
だとすると、
この感情の爆発場面は、ターニングポイントだということになる。
(同じくてんぐ50話では、このあと「妻に会う」場面へのターニングポイントになっている)
逆算すれば、
そのターニングポイントの為に感情の爆発場面をつくり、
感情の爆発の為に発火点を用意し、
その為に溜め込みを用意するのである。
(同じくてんぐでは、第一話からそれが仕込まれていた。
火山活動のように、50話冒頭で悪夢を見て前兆現象にしているけど)
カップルが喧嘩して仲直りするだけでは、
ドラマではない。
カップルは変化しないからだ。
仲直りしたことで、次に何か進むことがドラマになる。
例えば結婚とか。
現実には、感情の爆発は滅多にない。
滅多にないからこそ、
非日常の、物語という線の、
ハイライトになるのである。
そしてそのハイライトの前後こそが、シナリオである。
2015年07月21日
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