2015年07月22日

デジタルは人を幸せにしない:アナログは壊れるからいい

「壊れそうなものばかり集めてしまうよ」は、
名曲「ガラスの十代」だ。

人は、壊れてしまうものを美しいと思う。
命はだから美しいし、永遠の命は醜い。

デジタルは永遠に壊れないことを前提としている。
それはそれで便利だけど、
はたしてデジタルは美しいのか?
デジタル映像は、美しいフィルム映像の代替品としての美しさしかない。
デジタルは、美しくないと思う。

壊れるからこそ、美しい。

それは、デジタルにはない。


「テッド」を見ていて思ったのは、
これがアナログフィルムで撮られ、
アナログのぬいぐるみだとしたら、
意外と名作になったかも、という思いだ。
少なくとも「グレムリン」ぐらいには佳作になったかも知れない。

デジタルの絵が惨すぎた。
もちろんCGと相性がいいからこそのデジタル撮影なのだろうけど、
その絵はやはり、「壊れそうなもの」ではなく、
「永遠に存在し続けるもの」としての絵のような気がする。

汚れもかすれもへたりもしない、
臭くも洗いもできない、
デジタルのぬいぐるみは、果たして我々の心を癒すのだろうか。
否だと思う。

我々は、我々と共に壊れて傷つき、なくなってしまうものにこそ、
心が通じるのではないだろうか。



だとすると、「壊れて消えてしまう、少年時代だけの友達」という、
映画ならではのモチーフは、
「スタンドバイミー」「マイライフアズアドッグ」などのような、
少年や動物だけで描くしかないのだろうか。

もちろん、CGは道具として使えるだろうけど、
壊れて消えてしまうものの表現にCGを使うのは、
やはりナンセンスなのではないだろうか。


壊れて消えてしまうものを、フィルムで撮り、アナログ的につくる。
壊れて消えない永遠のものを、デジタル撮影またはフルCGでつくる。

このふた方向が正しいのではないだろうか。

僕は、映画とは、芸術とは、前者であると思う。
後者は芸術とかじゃなくて、消費の対象のような気がする。


妥協案としては、フィルム撮影をテレシネしたもの、
つまり真空パックがセカンドベストかなあ。



壊れそうなものばかり集めてしまうよ。
それが人であり、感性というものではないだろうか。
いい歌詞だ。
(ちなみに、天才飛鳥涼の作詞である)
posted by おおおかとしひこ at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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