ナンバリングは3とか4とかかも。
「ドラマとは葛藤である」は、誤訳だ。
「ドラマとはconfictである」を誤訳している。
コンフリクトとは他者とのぶつかり合いやバトルを示し、
心のなかであれこれ悩むことを意味しない。
そうでなくとも、
「葛藤」は、デッドロックを意味する。
葛藤とは、AかBかで心のなかで悩むことだ。
心のなかはカメラに撮れないという理由で、
葛藤は良くないと説いてきたが、
もっと酷いことが起こることに気づいた。
時間停止である。
AとBの間で葛藤するということは、
悩んでいる間は、「決定が下せない」ということだ。
つまり、主人公が葛藤すると、
話の進行が止まるのだ。
これが葛藤の最大の罪だ。
映画的物語とは、動くことである。
行動したり決定を下したりして、
次々に事態が急変していくことを言う。
葛藤は、この流れをせきとめてしまうのである。
主人公が葛藤すると、話が止まる。
他のキャラが動かさざるを得なくなる。
そうするとどうなるか。
「主人公ずっと休み」になってしまうのだ。
主人公一人だけ悩むだけでなにもせず、
他のキャラが動いてお膳立てを整えてくれる、
「落下する夕方」テンプレ
(このブログで批判する、最も下手くそなシナリオのパターン。詳しくは検索)
は、こうして出来上がってしまう。
主人公への感情移入も糞もない。
主人公の行動や決断にこそ、動きがあり、
そこに感情移入するのが映画というメディアである。
不動金縛りの主人公には、感情移入も糞もない。
デッドロックの例で思い出すのが、
聖闘士星矢での、「千日戦争(ワンサウザンドウォー)」だ。
ゴールドセイント同士が戦えば決着がつかず、
千日向かい合ったままになるという。
葛藤とは、一人千日戦争だ。
勝手に一人不動金縛りにでもかかってろ。
他のやつを主人公にしたほうが、
血沸き肉踊るダイナミックな物語になるだろう。
聖闘士星矢内で千日戦争になったのは、
アイオリアとシャカだっけ。
この二人をほっといて、話は進んだような記憶がある。
つまり、葛藤状態に落ち込んだやつは、
動き続ける物語から見れば、
時間停止=死んだも同然なのである。
葛藤に、なんの価値も意味もない。
なくていい。
ないほうがいい。
主人公が「AかBかで迷った」ら、
「ええい、Aだ!」と即決断するほうが、
面白い話になるだろう。
(大抵間違ってて、Bを次に選んで展開する)
何故なら、感情移入とは、決断や行動の瞬間に起こるからだ。
葛藤はデッドロックだ。
葛藤など物語の死である。
うんこガッチャマンの大鷲のケンと同程度のうんこである。
さて、てんぐ探偵48話妖怪「天狗」では、
珍しいデッドロックの脱出法を描いている。
シンイチと僧正が双方不動金縛りで動けなくなったあと、
物語を動かしたのは、「もう一人のシンイチ」だ。
葛藤でよくあるのは、天使と悪魔が囁いて、
俺はどっちを選ぶべきだー!とデッドロックになるが、
そこへ別の原理の三つ目の存在(しかも本人)が出てくる、
という新しい解決法だ。
デッドロックは話が止まる。
止まった話は止まったままで、
別のキャラに話の主導権がうつってしまう。
2015年07月22日
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