前記事からの続き。
じゃあ葛藤はNGなのか?
そうではない。
葛藤からの脱出がドラマチックであれば、
葛藤もただの障壁のひとつである。
物語には目的がある。
大きな目的はセンタークエスチョンで、
時々の今やらなきゃいけないことが焦点だ。
葛藤は、今やらなきゃいけないことに対して、
どちらがベストか決められないことだ。
1シーン迷うのは、あるだろう。
その迷い方も面白味のひとつになるかもしれない。
しかし数シーンも経過してしまうと、
それは話が進んでいないことになる。
通常、映画では、
「話が進んでいないところは省略する」。
渋滞に巻き込まれたなあ。困った。
↓
イライラ
↓
やっと動き出したか。
という3シーンにまとめて表現するとき、
真ん中のシーンは数秒だ。
実際の時間軸では1時間かも知れないのにだ。
風俗店に入る
↓
ぶさいくだった(数秒で次のシーンへ省略して飛ばす)
↓
出てきたあと悪口言いまくり
である。退屈なプレイ内容よりも、
そのあとのリアクションで楽しませるのが、
物語という芸術だ。
ドキュメントならその退屈をそのまま追うかもだが、
我々が書いているのは物語だ。
時間停止は省略する。
魔物は封印された。
以来二万年、主人公が偶然その蓋をどけるまで平和は保たれた。
という設定なら、
封印されたパートの次は、二万年を省略して、
封印が解かれた所からはじめるべきだ。
ということで、葛藤もそれらと同じに過ぎない。
葛藤状況に陥った
↓
結論を出して決断
だけでよい。
AまたはBのどちらかを選ぶのがドラマ的にどっちも面白くないなら、
葛藤状況を用意する意味がない。
渋滞という障壁があるときに、
ただ渋滞を脱出するという平凡な解決が詰まらなく、
例えば車を降りて走り出すことがドラマチックであるように、
障壁を乗り越えるときは、ドラマチックでなければならない。
逆に言えば、ドラマチックに乗り越えるために、
障壁を用意する。
ドラマチックに乗り越えられないのなら、
それは障壁か、あなたの実力のどちらかが間違っているのである。
従って、
葛藤という障壁は、たいていドラマチックに乗り越えられない、
(初心者には)詰まらない題材なのである。
三角関係でAかBかで引っ張るのはよくある。
つまり、葛藤から抜け出て結論を出すには、
それだけ長い時間がかかる。
それまでにAもBもよくて、
どちらかの欠点も露呈し、
どちらかを選ぶが間違っててやはり逆転して他方を選び直すとかの、
ドラマチックな展開のプロセスがないと、
長い間の葛藤は面白く見れないだろう。
悩める主人公がカッコいいなんて勘違いして、
ただ悩む描写をするな。
渋滞に巻き込まれてタバコを吸っているシーンを一時間写すのと同じことだ。
障壁は、乗り越えるドラマチックを描くための、
小道具である。ドラマチックでないのなら、その障壁の選択ミスだ。
ハードルの手前で止まることを詳細に描くのではなく、
ハードルをどう飛び越えるかが描かれるのが物語である。
(自分の書いた例では、てんぐ46話の行き止まりのバスの話か。
力強いドラマになっているのは、バックで戻る部分だ)
2015年07月22日
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